The latest information - How I have behaved.2001年第1四半期の記録

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This document is a dairy-like essay written in Japanese.  

 このドキュメントは日記のようなもので、憂さ晴らしで書いているようなもの(或いは、夜中に井戸に叫んでいる声をテープから起こしたようなもの)も含まれています。仕事関係については、図書館員として一般的な作業については何ら差し支えないことと考えられるので書きますが、それ以上のレベルではあまり書かないようにしています。これは業務内容に関する守秘のためですので、ご了承下さい。通常のブラウジングで読める範囲は、日記の中でも特に差し支えない部分だけであり、私の本音のうち公表するのには問題がある部分はすべて埋めてあります。

Old Diaries
年 / Year四半期 / Quarter主な出来事 / Mainly Occuances
1996-1997 [ 1 - 4 ] 橙路(道)的学部時代
1998 [ 1 - 4 ] 修士一年の苦行。
鴨川、そして有明への傾倒。
1999 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 論文よりも、なぜそっち?
2000 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 就職の前後のことども。

小熊さんの日記 「哀愁日記:底に哀はあるの」
小熊さんの当サイト向けリンク 記述の内容については一切コメントいたしません! 
職場の先輩「あやりんまにあ」Tさん=ゆみへい氏のページ:けろむこっとはうす http://www.ne.jp/asahi/orange/road/rink.htm
Mar. 23, 2001
東京行きのため、今日の朝以降、来週月曜の晩までメールが読めません。参加するのは、村山連合関東定例、KOR Freaks、それと非公開1件。

来週月曜=26日の日中は、ISDNからADSLへ回線を切り替えるため、有線電話が通じない予定です。その代わりに、携帯電話は終日オンになっています。(結局、アサヒネットでADSLのオプションを付けました)
今日から新しい職場(というか、転勤先)に詰めるため、昨日は現職場から荷物を抜いた。ロッカーと机の中味を片づけたり、文房具を略奪したりと、実に楽しかった(特に最後の一つは)。
でも、これから通勤時間40分の世界になるのだと思うと、めんどくさい。充分すぎるほど、めんどくさい。すぐに慣れるだろうけど。

21日は、まず近畿大阪銀行で旧なみはや銀行の通帳を切り替えて、共済保険のために入金。それから結核予防会まで定期健康診断に行く。(レントゲン、血液検査、聴音、慎重・体重、視力、血圧、問診、心電図、尿)。昼前に終わったので、日本橋でONKYOのSE-U55(USB接続の、再生・録音デバイス。約1万7千円強)と、AOPENのVA1000(ビデオキャプチャーボード、約8千円強)を購入。しかーし。後者の取り込みスペックは箱と説明書で異なっていることに気づき、購入もとにかく人を求めたところ、箱書きのスペックが間違っていることが判明。冗談じゃないので、返品を申し込む。もちろん、CD-ROMを開封していても返品できることは確認した。したが、中味のソフトも不都合があるらしいことが判明。どうしたものやら。

Mar. 20, 2001
 今日は服と鞄を買いに行こう。皆に会うために。


 今年のNHK学校音楽コンクール小学校の部の課題曲「ロボット」の歌詞はサンプラザ中野が書いたそうだ。しかも、テーマはいじめ。なんとなく、本田美奈子がBGMを唄っていた公共広告機構の、いじめ防止のための意見CMのような、そんな世界。楽譜にはスタッカートもモデラートもないらしい。大槻ケンヂが書いてもいいかも。
 中学校の部はドリアン助川作詞の「変」。でも、楽譜的には叫んでない。叫ばなくていいの? 「なんだかほんとに変 とってもみごとに変」 短い曲だ。ドリアン助川ってニューヨークに住んでいたんだな・・・ 作詞者は、「変」という感覚がさまざまな人間関係や、世の中に「変」を発見したことにより生き方が変わることがある、そんな「変」の大切さを、恋のはじめの「変」をテーマに作詞した、と言っていた。たしかに、「変」がないとね。うる星やつらでも、そういう歌があったけど、でもあれは単に「変態」の「変」では?
 楽譜では最初は変調ないけど、感情の移り変わりにあわせて、どんどん臨時記号が増える(変調していく)らしい。唄う側としては嫌なタイプの楽譜だろう。
 高等学校の部の「きょうの陽に」は、自分にとって、魅力を感じられる曲ではない。中学校の、国語・音楽教科書の作品世界だった。この部の課題曲には、歌詞の根底に「社会に旅立つ手前の青年」というテーマが埋め込まれている傾向がある。


 このコンクールには高等学校の部で、第58回と第59回に出たことがある。特に前者のときの課題曲「聞こえる」は、いま高校生が唄っても、もしかしたらピンとこないかもしれない。というのは、湾岸戦争やドイツ統一のことが唄われているから。テレビでリアルタイムで見ていた世代にはリアルタイムだった事柄として思い出されるだろうけど、たとえその頃幼稚園児や小学生だったとしても、過去の出来事としてビデオで見るだけでは単に環境破壊・歴史的出来事としてしか見ることが出来ないような気がする。
 過去の課題曲のなかには、「紀元2600年奉祝国民唱歌」(昭和15年度。当時は小学校の部のみ)や「わりばしいっぽん」、やなせたかし作詞の「花と草と風と」、なかにし礼作詞の「そして夜が明ける」というのもあるが、どんな曲だろうか?


Mar. 18, 2001
小一月サボっていました。毎日毎日毎日残業で、8時帰りが普通の日々。
それでもきっと、たぶん、幸せなほうなのだろう。

 2月24日の朝、帰省。午後2時半頃から、前日にオグマさんより依頼されていた条約文を入手すべく某美大へ。その条約とは、日本は批准していない「タイプフェイスの保護及びその国際寄託に関するウィーン協定」で、「日本のタイプフェイス」という本に収録されていた。そのテキストは紙とPDFで入っていたが、結果として、どちらも戴いた。こういうとき、自分の道楽も少し役に立つことがある。
 翌日、モデムの動作に若干の不安を残しつつ、大阪に帰る。というのは、日曜日という条件から、モデムの不良か、プロバの側で塞がっているのかがはっきりしない事情もあった。
 明記はしないが、その週の某日、3時頃に自分の机に戻ったら、ケーキが一つ。誕生日だからと、わざわざ買ってきてくださったのだ。こんな目に遭うとは思わなかった(笑)折角だから、と持ってきていたデジカメで撮った。
 28日、大学としての送別会+転勤の衆よ、向こうでも頑張れ・・・・というタイトルではないが、そういうような上本町駅の某ホテルであった。ビンゴの景品のテーマはあやしい健康器具とのことで、いろいろ出てきたが、幸い?あたらなかった(笑) ピンク色の、イオンを吐き出すぬいぐるみとか、様々なものがあったのだが、最初の一つ以外は首を少しばかり捻る、でも面白そうなものばかりだった。なお、楽しいイベント(それ以外のイベントを覗く)のラストとして、全員に三つの選択肢が与えられた。一つは堅実なレインボーカード(関西地区の私鉄・地下鉄共通のプリペイドカード)1000円券、二つ目と三つ目はそれぞれロト5とロト6。自分も選んだ、三つ目のほうが人気があった。狙い通りだ、と企画した被服さんは考えたことだろう。

 3月1日、6日、および9日、奈良県の山中にある新館へ出張。
 6日、布施駅前のメガネスーパーで1本注文する。近視の度は数年前と変わりなかったものの、乱視が進んでいた。

 10日、土曜日ということで5時に勤務があけてから、鶴橋経由で、快速急行で奈良へ。奈良に来ている両親と合流すべく、近鉄奈良駅からタクシーで2000円あまり払って、シャープ奈良工場近くにあるビジネスホテル大御門へ。夕食として、ホテル内の飲み屋?で飲む。ブリのカマ(3〜4人分)が非常に美味だった。整髪料を持っていなかったので、あまり頭を洗いたくなかったが、結局、翌朝に風呂に入ったときに洗い、父親の整髪料で髪を整えた。

 翌朝、8時前からバイキング形式で食事。9時前に、奈良公園付近を車で通るだけ通って鹿を見る。昔、母方の祖母らとともにここに来たとき、ブレザーで鹿に抱きついて、それを脱がされた覚えがある。母親と自分にとって、そんな因縁の土地だ。今回も時間があれば鹿と遊びたかったが、春という時節柄からしても、止めておくこととなった。次に法隆寺へ。業界柄、たくさんの百万塔にちょっぴり悦ぶ。
 法隆寺は結構歩くスポットなので、見終えた時点で正午頃だったが、そこから石舞台と亀石を見に行った。石舞台はとにかく、亀石は「こんだけか?」というのが正直な感想。ただのでかい岩にしか見えないのだが、おもしろいといえばおもしろい。でも、たとえかわいくても、こんなもの庭にはいらない。観光名物になるぐらいのものでも絶対要らない、という良い例だ。

 13日、またまた新館へ。なかにいろいろ運び込まれていた。一緒に(来月1日付で)転勤になるT田さんは、私物その他諸々の隠し場所を模索していた。昨夏、事務室の工事のため一旦は減ったらしいのだが、それでも引越が怖い程度にあるらしい。設計に関わったため、新館の構造を知り尽くしているK手さんには無駄だと言われているのだが、まだまだ諦めてないらしい(笑) この日、一緒に働くことになる、派遣社員のKさんに新館内を案内した。まだまだ閲覧絡みで決まっていないことがあって、説明できないことも多々あった。そのほぼ全てについて、今月中に処理しなくてはならない。
 15日から春休み体制。でも、やっぱり毎日8時までお仕事。
 17日、土曜日のため5時帰り。メガネスーパーで注文していたメガネを受け取って、それをかけたまま、久しぶりに布施のアニメイトへ。7千円ばかりお買い物。これらが遺産として残ったとき、子あるい孫らは、親あるいは祖父の浪費の結果をありがたがってくれるだろうか? おそらく、教育次第だろう。いかせんべさんのところのように、その道の早期教育で立派に育てれば、きっと・・・
 18日、部屋のお片づけ、またまた大量のゴミ袋を消費した。翌朝、ゴミ捨て場に出すものを部屋の中に溜めきれなくなった。途中で、PCに繋がる電源系統を誤って切ってしまった。時間があったら、修正したいのだが、なかなかできない。終日、部屋から出なかった。犬山っちに頼まれ、以前教えた、一休さん セカンドシーズンのアドレスを教える。ついでに、先日いかさまのBBSに書き込まれていた、中国で開発された、という「先進者」のページを教える。見るのが辛いものばかりだ。なんと幸せな時代だろう。

Feb. 25, 2001
某まりかっちさん(知り合いではありません)の日記に、デンパなネタが書いてあったので、早速このページで試してみました。こうなりました。(なお、変換結果の公表は「積極的に認めます」とのことだそーです。) 直リンク禁止なので、
http://www02.so-net.ne.jp/~saitou/cgi-bin/denpa.cgi?URL=http%3A%2F%2Fwww.itono.com%Flatest.html
としか書きません。お薦めとしては、某底ノートなんか試したら、ディスプレーが電子レンジになるほどデンパになります。嗚呼、デンパ。山浦章の漫画で、日高のり子を撮ったら東京タワーが写ってるって話があったけど、ああいう感じだな……

このサイトの某所で密かに、トップからは行けない場所にて営まれている「ナルト総受けチャット」のログで試してみたら、殺したくなるほど怪しかったよ(笑) > ペティグリー・犬山・チャム殿

Feb. 24, 2001
 昨日、某ゆみへい氏がもうすぐ3月だと曰うので、自分にとっちゃもうすぐ歳を取ることのほうが問題だと言ったら、黒板(予定表用)の該当する日のところに
 まにげらくん発生念日
と書かれた ……凹。
 3時のおやつは、ぜんざいだった。自分だけ丼に入っていて、餅が三つ入っていた。片づけようと休憩室に行ったら、職場ではだいたい真後ろにいるO田さんがにこやか〜にオーブントースターから餅を三つ入れようとしたので、泣いて懇願し、一つだけで許してもらった。
 今月に入ってからは珍しくなったことだが、6時に仕事から上がれた。そこで、小阪駅の駐輪場に自転車を預け、日本橋のゲーマーズに直行。6時半頃に到着。もちろん、「デ・ジ・キャラットファンタジー」を取りに行ったわけだが、キャンペーン中に付き、これといっしょにマウスパッド5枚を買えば非売品CDケースがもらえるという。そこで、「どこでもいっしょ」の、マウスパッドメモ@480円(同じもの)を5枚購入。このマウスパッド、「仕事って世の中のためになる?」と書かれているのだが、聞かないでくれ、自分でも分からないから(笑)
 そのあと、JRなんば駅で、来月使う予定の高速バスチケットを購入。1ヶ月+1日前から予約可能なので、本当は今日行けばよかったのだろう。9時ぐらいに行った割には、1番のA席だった。ここでオヤジギャグを噛ますようになったら終わりだろう。でも、カマしたくなるのは血が汚れているからか?
 帰りは準急で小坂に戻ったのだが、運悪く、雨が本降りになった。しょうがなく、ファミリーマートで70リットルのゴミ袋を購入し、いろいろ保護しながら帰宅。真下にあるコンビニで買った弁当を食べて、直ぐ寝た。
 今朝になって、「デ・ジ・キャラットファンタジー」を見てみた。インストールに1.5Gを喰うという凄まじい仕様はしゃべりまくりを期待して良いって事だろうか。とにかく週明けを待って、バグのお詫びが出てくるのを楽しみにしよう(笑)


Feb. 21, 2001
 19日、なんとかかんとか、閲覧に供されているCDの遡及入力を終えた。実質4日×9.5時間+3時間=41時間での入力であった。でも、レコードとカセットとビデオが遡及を待っている。
 切りが良いところで止めておくのが一番だろうし、関連するマニュアル作成のほうが優先されるべきだろうから、遡及はもうほとんど後任者任せ・・・・・ いや、ウン年先に戻ってきたときに放置されている可能性もあるか(爆)

 昨晩はビデオ系の配線を調整した。FMチューナーをS-VHS(VICTOR HR-S300)のライン入力の片方に繋ぎ、そこからの出力を更にタイマー録画に使用しているHiFi-VHS(SONY SLV-BS511)に繋いだ。ところが、マルチディスクプレイヤーと元々使っていたビデオ(SHARP)が接続されていないので、切り替え器でなんとかしたいところだ。

 13日に夏コミの申し込みを行った。今回は、Blue Windの申込者が実は(略)だったりする。ペンネームは甘甘仮面(強制的命名)にしたと先日話したら、当然の反応をした。普通、悦ぶ奴はいないだろうが、そこまで嫌がるとは思わなかった。
 Blue Windは休み時間に申し込んだのだが、昼間の時点でMANAMIは書類が出来上がっていなかった。(申込用紙に貼付する振込用紙に係る振込をしているところを、ゆみへい氏に見つかった。) 前回の正確な販売部数が分からなかった(< 報告は自分でやったものの、正確な数字を手元に残さなかったという不始末をしたので(^^;)ので某南里氏のPHSに連絡を入れたところ、別の件の連絡が来た。スクールフェスティバルのV3(仮面ライダーV3、F-BASIC V3など、何でも各人が思い当たるモノが正解だ、とのこと)を8月26日にやるから、スタッフに来い & 6月3日のコミックコミュニケーションに出るから売り子に来い とのことで、どちらも日曜だからOKした。ああ、どんどん新年度の予定が埋まっていく・・・
 結局、MANAMIの申込書は布施郵便局の夜間窓口に出した。集配局がそこそこ近いのはやはり便利だ。

Feb. 19, 2001
 3月下旬の高田明美画集発売確定に引き続き、まつもと泉画集およびまつもと泉カラーコミックもゴールデンウィーク明けに発売になるようだ。前者の価格は角川のページ(4000円)と申込用紙(4800円)で800円も違っているのだが、おそらく申込用紙のほうが正解だろう。この800円は高田作品がらみである以上、驚くに値しない変更だ。

 18日の土曜日は、またもやH藤宅に押し掛け、メディアコンバートをやってきた。が・・・どうやら、ヘルプのディレクトリをコピーし忘れたらしい。また行くしかない。帰りは、梅田の地下で寿司屋を2軒はしごした。どちらも一皿100円で、片方はたこ焼き屋などに囲まれたカウンターのすし屋、もう片方はチェーンの「アトムボーイ」。前者はオヤジ二人が握っていて、哀愁たっぷりすぎて辛かったので、5皿だけにしてさっさと逃げた。ネタが小さすぎて、辛かった。二軒目は、さすがに気兼ねすることなく食べられた。オヤジの念波がカラダに悪かったのだろう。
 その他は、今週末について特に書くことはない。寝ていた。

 11日の土曜日、H藤宅からの帰り道、梅田の地下にNTT西のADSL体験コーナーみたいなのがあって、ADSLを申し込んで来た。ちょうど1週間経った昨日の朝、(これは私からの希望として頼んでおいた連絡方法だが)電子メールでいろいろ現状についての確認が来たので、直ぐに返信を送った。
 メールによれば、自分で配線するなら、来月26日にADSL化工事をするらしい。が、本当に使えるかどうかは、やはり神のみぞ知る。
Feb. 17, 2001
 朝起きたら「P-kies」で「およげ たいやきくん パラパラ2001」をやっていた。ガチャピンもムックも・・・・ ちょっとイヤ〜ンなカンジかも(笑) 最後は、お手上げのポーズだろうか、両手を挙げていた。溺死体の格好?
 
 昨日、伊勢脇@学部同期@九州の某大学医学分室勤務さんよりメールがきた。なんでも、自分の名前を検索していたら、一昨年第4四半期の日記を見つけたとのこと。なんでも、この世のどこかのフリーなディスクスペースで、またホームページを再開しているとのこと。
 彼女もやはり、旅費に給料が消えている図書館員なんだよなぁ・・・・

 今週の火曜日から来週月曜日まで臨時閉館。CDの遡及入力に励む。金曜日が終わった時点で、767のO[ボーカルもの:岡村孝子]まで完了。(< ポップスも入ってる。) 一日に処理できるのはおおよそブックトラック(館内で使う図書運搬用台車)1台分。
 月曜が終わるまでに完了しなければならないが、ちょうど終わるか、火曜日の朝に残りを少々処理すれば完了、というぐらいのところまで処理したものの・・・ 寄贈が、受入からやらないといけないので、それが大量に混じっていたら絶対無理(涙) しかも、やってみないと混じってても分からないので、掘ってみたらハアびっくり、というような遭遇しかありえない相手である。

 水曜は午後から転勤先の施工状況を見に、奈良県まで出張。翌15日から書架が入るとのことで、まだ家具が全くない状態だった。AVルームは予想とちょっと違っていた。

 水曜の晩、親衛隊のkazuya隊員に頼んで「デ・ジ・キャラットファンタジー」を予約した。
 実は月曜に、オグマさんに買うかどうかを確認したら、買わないと言うではないか。しかも、
 「儂オタクとちゃうねんど? なんでンなもん買わんとあかんねんな?(というか、ついさっきまでその「デ・ジ・キャラットファンタジー」が何かも知らなかった)」
 などと、オタクらしからぬことを10日12日付けの日記に書いていた。そんなはずがあるものか、全く信じられんわ!(笑)
 そして、予約したことを連絡したら、今度は15日付けの日記で書いていた。(実は、確認の電話だったので、あそこに書かれているとおりというわけではない。)
 このゲームのことを知らなくても、オグマさんは既に充分なレベルまで・・・ 

 そういえば、銀河さんのサイト「銀河通信」にこういうところが増えていた。

 11日の日曜日は、11時半頃にH藤と梅田で待ち合わせ。またヴィ ド フランスで昼食[リンク先はjpg画像57KB]と相成った。そのあと、ソフマップ・ギガストアに行って、Leafの新作「誰彼」(たそがれ)を郵便貯金のデビットカードで支払う。それから日本橋に移動し、USBハブ(2口)を840円で購入。晩飯は南海近くのマクドナルドにて。
 12日の月曜日は、昼からH藤宅へ直行。手みやげにミスタードーナッツを持っていったのだが、奴の姉のために買っていった分まで喰いやがった。人の話は最後まで聞け!!(苦笑) まあ、こちらも「誰彼」を持っていくのを忘れたからお互い様ではあるのだが。
 この日の用事は、「バイブルス」(日外・紀伊国屋発行のCD-ROM)検索用プログラム@5.25inch FDのメディアコンバートだったのだが、ディスプレーが埋まっていたので預けることに。

Feb. 9, 2001
 5日の晩、中尾氏@つくばより電話あり。置き去りにして貸してあった自転車をどうすればいいかと尋ねてきた。安ければ郵送で、と頼んだ。次の日の昼、1万円以上かかる上に、粗大ゴミを預けておける相手もいないという。自転車屋に廃棄について問い合わせてみることを勧めたら、自転車屋から運送したらしい。7日にこちらから電話で問い合わせたら、前輪取り外し費用2000円(ちょっと高いと思うんだけど...)、郵送料3000円(?)だったかで送った、との事後報告が来た。 高校のころから乗っていた自転車がやっと里帰りである。

 しゃべり場という番組を見てみたいのだが、タイマー録画の空きがない。この事態は、人として、或いは地球に対して、業が深い証拠か?

 NTT西のADSLに申し込みたくてうずうずしている。3月からサービス開始のようだ。

 7日の水曜日は代休をとった。センター試験で休めなかったときも、その直後の水曜日に代休をとった。現在、代休のストックは二日間。でも、使い切れるかどうかまでは定かでない。
 下手をすれば、あと1ヶ月と数日で現在の職場には行かなくなるのだから。(転勤のため)

 ちなみに、転勤先に関する、現時点での一番の関心事は「おやつと昼食をどうやって調達するか」である。
Feb. 1, 2001
 犬山あきらっちのために六つほどところにより毒の入った英文を書いてあげたら、お礼にと森のくまさんの謎(講座ペンとともに考える ; 2)というページを教えてくれた。そういうページばかり見ているのかい、受験生!(笑) < 進学が決まってるから、それでも良いんだろうけどさ。

Jan. 30, 2001
 3時前頃、異動の内示のため木曜に法人本部へ行け、という内容の連絡が来た。つまり、この連絡が来たということは本決まりであるということだ。

 本決まりになったので書くと、奈良県(奈良市ではない)に4月に開館する図書館に転勤することになった。
 某団体(?)のある方からは「奈良支部設立だな」と言われ、
 また、ある方からは「名古屋に少し近くなったね」と言われた。
 そこで、考えを改めた。
 「関西支部奈良出張所」ということにしておこう(笑)

 [なお、あちらにいる間にご著書をごそっと寄贈するつもりなので、ILLするなら・・・ 探せる人且つ利用できる人且つ「ILL」の意味が何か知っている人は試してみよう!]

 実は、デジカメを買ったのもそれに備えてのことであった。つまり、休み時間は外に出ても何もないから写真ぐらい撮ろう、と考えたわけである。そして、裏で写真入りの日記を付けよう。タイトルは「閲覧業務と内戦 : 図書館運営と館内での対人相互応酬的ゲリラ活動を両立させるための実証的研究」(仮題) [< 最大の課題は、まだ見ぬ三人目が耐えられるかどうかかも?]

 連日、7時までの残業である。向こう=サテライトな職場に行ったら閲覧業務しかすることはないが、残業などあるのだろうか? レファレンスぐらいかな?

Jan. 28, 2001
 今日は、H藤と終わっている野郎どもの日を満喫した。11時半に大阪駅で待ち合わせ、まずは地下にあるパン屋で朝食。小倉ホイップ・・・という名前だった気がするが、少量の小豆と大量のホイップクリームが詰まっていて、そこにこれまた極悪にもパウダーシュガーが死ねとばかりにかかっていて、それでいながら130円(160円だったかも)という価格に、次回も絶対食すことを決意した。もちろん1個だけにするつもりは毛頭ない。
 梅田(大阪駅)のソフマップ・ギガストアにて中古のFinePix 600Zというデジカメと、対応するスマートメディア32MB1枚を買った。
 そのあと日本橋に移動し、98用5インチFDドライブを探していると、TWOTOPに新品のやつが7000円ほどであるのを発見した。が、もともと自分のために探しているわけでもないのにそんな金額を払う気にもなれなかったのでパス。結局、じゃんぱらにて壊れたやつが一個あっただけで、一台も目にすることは出来なかった。時代の流れとは早いもんだ。結局、H藤にメディアコンバートを依頼することにした。

Jan. 27, 2001  3月より、住んでいる辺りでもNiftyでADSLができるようになるらしいので、本気で考えている。昨年、折角買ったISDNルータには、実家に行ってもらおうと考えている。
(但し、そうする場合はNiftyのアカウントをもう一つ取るつもりだ。今のIDは月200円で居座ってるヤツだから、解約するときに困るし)

 2,3日前に変な夢を見た。何かから車で逃げている最中に、ラジオから殺人の声明が聞こえてきて、助手席の女に[殺人の声明がよく流される]周波数表を見せられ「どの周波数だった? あてはまるものはあるか?」と聞かれる夢。右ハンドル車だけど、走っているのは右の車線だったし、周波数だって142メガ帯だったし・・・  たまに克明に憶えている夢があるけど、一番後味が悪いタイプの一つだ。

書き忘れていたが、ちゃんと23日のうちにL○L○の全プレ「っ○○!」CDは申し込んだぞ。予想通りだという方は笑ってくれてもよろしい。
 珍しく、というよりは「せめて土曜ぐらいは!」という感じで、今日は定刻に退社した。今日は学情書誌を5,6個作った。
 この日作った最後の書誌は、Japan MARCにも入っていなかった、「昭和十四年天津水災誌」という現地の日本軍が作った図書のものだった。受入日が1940年、受入価格が7円。写真や色つきの図表が多く、当時としてはなかなか手の込んだ方だと思う。歴史がある分だけ、面白い本も所蔵しているものだと改めて認識させられた。
 退社後は真っ先にアニメイトにてKanonのドラマCD3(昨年12月から発売順延になってきたもの)を買ってから、布施の駅舎のなかにある(< という表現で良いのかな?)SEGA WORLDなどで時間を潰した。

 そのあと、布施駅近くにあるアーケードな商店街のなかの映画館で7時の回の「バトルロワイヤル」を観た。
 「死に遅れた」=「とりあえずは生き残った」連中(+観客)に「死んでいった側」の連中が言い遺していった台詞が効いてくる映画だ、と「10代のときからずっと死に遅れてきた」自分は思ったわけで・・・ なんというか、自分が生まれてより10年以上理解するに至らなかった(或いは、理解できないように仕立てられていた)ことがたった2時間で説明し尽くされていることにある種の快感すら覚えた。
 もちろん、小中校生に作品の語ろうとしていることが理解できるのか?という疑問はあるし、その意図が伝わりうる小中校生がいないとは思わない。銃のみによる殺し合いだけだったならばR指定にも諸手をあげて反対するところだが、年齢制限の部分を除けば、R指定というランク付けそのものには賛成する。
 ただ、作品として銃によるクラス内殺し合いにしなかったことは「誰もがいつでも殺す側になり得る」ことを表現する必要からも妥当なのだろう。「殺す側〜いつも殺している側」と「殺されやすい側〜常に殺される側」しかない関係が、それとは無縁な関係と同時に(「クラス」という単位の、小さな)世界の中で存在していても不思議ではないし、この両者の間なんて大して離れていないことを見事に描いている。そして、それが現実社会の縮図であろうことを、大人社会で作られたBR法が軍隊の力で実行されているという状況で表している。偶然ながら、子ども対大人の闘いを描いているという、春の「クレヨンしんちゃん」の新作映画の予告が流されていた。
 だからこそ、体格的にも力を手に入れはじめる中学生には見せてみて良いんじゃないかと思う。単に殺すのが悪いならアメリカ映画の少なからぬ割合が、大量に殺すのが悪いなら戦争映画が、残虐なのが悪いならホラーのほうが上だ。
 大胆な実験ではあろうけど、少しは他人と自分の関係を理解しようとする人間に育ってもらうために、中学生に見せてみたい映画だ。

 「嫌い」というにもそれなりの覚悟が必要なんだよ、というキタノ先生の死に際の一言が効きました。

Jan. 22, 2001
 先週の中盤より毎日残業。5000冊ってやっぱり多い数字だ。
 木曜日だったかに、3月の初めまでずっと土曜が休めないことに気づいて、愕然とする。つまり、これまでは隔週土曜が休み(= 週休1.5日)だったところに、ちょうど2週間おきで試験が入れられ、かつ書誌・所蔵情報調整のための1週間の特別休館期間の出勤が組み合わさり、休みがなくなったわけである。
 つまり、1月から2月にかけて代休が合計5日発生することになったのだが、うち1日は(20日の代休として)24日にとることにした。プリンターがヤバイ状態だから、今日は給料日だし、日本橋に行きたいよ。[< 断じて禁断症状ではない!]

 土日(20〜21日)はセンター試験の案内係として、日に2〜3回ずつ立ってました。初日は雨から雪になったんですが、ストーブがなかなか来なかったので実に冷え冷え。翌日8時半の試験関係スタッフのミーティングで、使い捨て懐炉を多くふんだくることに大決定。(初日は、懐炉を一つも取らなかった。)
 二日目の日曜日、仕事とは関係ないところからもあるところからもちょっとした噂を聞いた。実は片方は予想通りで、片方は週明けまでは動きがないと思っていたことだった。その日の夕方より、体調急下降。ミスタードーナッツで800円を使い、松屋の牛丼(並)を食べて、さっさと寝た。

 有給を使い切ることはとっくに諦めたが、代休は果たして使い切れるだろうか? 
(註: 有給休暇ともども、年度を超えて持ち越すことはできない。)

Jan. 15, 2001
 昨日は、勤め先主催の村上龍の対談ほかへ行こうと思っていたが、H藤に渡すモノなどが出来たので欠席して11時待ち合わせでの日本橋行きとなった。が、15分ほど遅刻して恵美須町駅に着いた、その電車の車内で後ろから捕まえられた・・・・ お互いに同程度に遅刻する器用さが何とも言えない(笑)
 朝兼昼ご飯は、一部商品半額セールであったミスタードーナッツで、飲茶のセット(麺)+半額商品全部(5品)をオーダーした。
 血迷って、持っていないドリームキャスト用「カードキャプターさくら 知世のビデオ大作戦」((C)SEGA, 2000)の新品を5000円ほどで購入。中味は帰ってから見たのだが、絵がダメ。グッズは、抱き枕以外− ホットケーキセット(皿+皿を飾るためのスタンド+フォーク+スプーン)、時計 −は見るのが辛すぎるものである。忘れたいので、売り払おうかと検討中。 評価:「そもそも、さくら関連のグッズであると認定いたしかねるような絵である。ゲーム中のポリゴンさくらは、児童がプレイしたときにトラウマになる可能性があり、キケンであるのでR指定を要すると思われる。」
 20〜21日は本来仕事がない日なのだが、センター試験のために出勤しなくてはならず、結果として今日から19 13日間連続出勤の予定と相成った。(もちろん、代休はあるものの、行使・不行使は任意。)H藤曰く「仕事があるだけでも幸せと思え」だそうだが、労働者に休日は必要だと思わないのか?(笑)
Jan. 12, 2001
 約6週間ぶりに歯の矯正の調整に行った。ぜんぜん○ゾじゃないんだが、痛くないと歯を動かしている実感が無くてつまらない、と思うのはヘンだろうか?

 昨晩、変な夢を見た・・・・ 背中に切り傷を負った牛がいたので、実家に抱えて帰って、飼ってみた、という夢。

Jan. 10, 2001
昨日、昨年結婚したMANAMIのメンバーより、年賀状兼結婚報告の葉書が届いた。
夫婦別姓を主張しているので、名前は結婚前のまま記されていた。
郵便番号は7桁になっていたが、プライベートな郵便物なので、これでいいのだろう(笑)

 同じサークルだからというよりも、主義に共通する部分があるから応援したいのはやまやまなのだが・・・・  某会議の活動のベクトルがどうなるのかを見極めてからでないと、応援しようがない。

Jan. 8, 2001
今年もよろしくお願いします > all

それでは年の最初に、先月28日から今日までの行動を書いておきます。

≪28日≫
 午前中は製本やら、銀行で(翌日のサークル参加に備えて)両替やらでてんてこまいだった。入浴の後、午後2時頃に自宅出発。鶴橋からは青春18きっぷで移動し、名古屋駅で東海道新幹線・上越新幹線・(第3セクター)北越急行線・北陸本線経由大阪市内行きの乗車券(13,240円だったかな? 北越急行の部分の運賃950円を含む)と名古屋-東京間の新幹線自由席特急券を購入。
 6時半頃に東京到着。秋葉原で実家用のモニター(新品)14000円ぐらい+キーボード(950円)+ネットボード2枚+マウスを購入し、送ったところで7時半頃だった。
 その後、JR蒲田駅に移動し、西口2階にあるマクドナルド(サン・蒲田(?)内)で待っていたところ、9時頃だったかにMANAMI主宰の南里みやびさんより連絡があり、9時半ごろだったかに合流、小一時間ほど一緒にまったりしつつ、無事に翌日販売したMANAMIの新刊&テーブルクロスを受け取る。
 次に、浜松町駅で大江戸線に乗り換え、門前仲町に11時半頃に到着。KOR Freaksの、他のメンバーと合流。このとき、サークルチケットを2枚持っていたのだが、翌日参加したメンバーが4人でチケットが3枚の状態だったので、初の全メンバー・サークル入場となることが判明。(しかも、駐車場チケットはMANAMIでとっていた1枚とあわせ、計2枚あったので、翌日は2台に二人と二人で分乗した。お仕事の事情により、一人だけ単独でビッグサイトに移動。) ちなみに、今回のコミケでは久しぶりに業務用無線を使用した。(業務用無線といえば、コミケ57の三日目だったかに、そのトランシーバーを持っていることを怪しまれて、バッグの中味を見せたことがあった。)
≪29日≫
 8時頃だったかに駐車場に到着。同30分ごろに移動し、9時前にはKOR Freaksのブースに到着。自分だけ、MANAMIに移動。会場直後にCut a Dushという、みつみ美里さん(「こみっくパーティ」原画)のサークルに並ぶ筈だったのだが、ここのサークルについては(イレギュラーな措置として)会場より前に列を作るということを知らなかったため、そこのサークルに1時間強ほど並ぶ羽目になった。言うまでもなく、これはどの一般参加者よりも確実に良い場所なのだが・・・
 次に、赤松 健先生(「ラブひな」作者)のLevel-X(れべる てん)というサークルに並んだのだが、途中で列が崩れたこともあり、列内での位置が繰り上げられたという特殊事情もあって、50分ほどで購入できた。並んでいた列の、横の列のなかにいかにも銀河さん(注:普段は本名でお呼びしています)らしい方がいたので、試しに2,3度呼んでみたところ大当たり! 少しだけお話しする。(7日の晩まで、銀河さんの携帯の番号は知らなかった。)
 なんでも、オグマさんとも今回のコミケでは2回ほど偶然に遭遇しているばかりか、以前のコミケでも不思議と銀河さん−オグマさん-私は出会うもんなのである。銀河さんとこのことについて7日の晩に電話で話していたのだが、こうも毎回となると「縁がある」としか言いようがない。
 12時半にお〜いしいよ師匠と交代して、3時まで売り子。3時から、YM-MLとしてのコミケ定例オフの予定だったのだが、誰も来なかった。翌日も同時刻に設定していたものの、誰も来なかった。
 帰りも車での移動となった。その晩は、門前仲町から車でまっすぐ行けば10分とかからなさそうな場所にある銭湯で汗を流し、そのあとに寿司屋で晩ご飯となった。
≪30日≫  4時に移動開始の予定が30分ほどずれ込んだ。タクシーで移動し、5時ぐらいにビッグサイト西館の行列に到着。9時時点での位置としては、ビッグサイトからTWRへの階段を下って、ビッグサイトに向かって右側のビルの真ん中あたりの縦位置で、2列目だった。
 会場直後に、渡辺製作所(Leaf系同人ゲーム「Queen of Heart」などで有名)に並び、最初の1回目に9部制限の「魔物ハンター舞 : 少女の檻」を9部購入の後、2部制限のサントラ「White Rabbit」を購入すべく3回ほど列に並んだ。もちろん制限Maxで。
 次に、Million Means(オグマさんが参加)へ行ったものの、その時点では東館でえらい目に(自ら)あっていたらしく、不在だった。そこで、Cut a DushとLevel-Xの新刊を次に訪ねるときまで貸し出すべく、預けた。
 東館に移動し、Million Drop(作者本人は不参加)で売り子をしているいかせんべさんや、りゅうき夕海(@どてちん牧場)さんにご挨拶したあと、その周囲に配置されていた、楽園天国(きみおたまこさん)などなどで購入。もちろん、毎回購入している、後藤羽矢子さんの「はやの素」No.6も忘れずに。
 その後、いろいろいろいろうろついて、2時ごろに再びMillion Meansへ行った際にオグマさんを発見。毎度のことながら、「唐草ぁ〜〜」とからかってみる。(注:彼常用の鉢巻は唐草模様。詳しくは、彼の日記をあらかた「唐草」で検索してみるべし(笑)] いろいろつもる話はあったが、とりあえず先ほどの「White Rabbit」を進呈し、替わりにというわけではないものの流星ひかるさんの同人誌を貸していただいた。そのあと、西館の右半分(渡り廊下から降りたときの正面に向かって)のなかだけ移動。全ホール制覇を断念。
 2時45分ごろになって、東西間のガレリア・時計台近くで毎回やってる、KOR Freaks内部の相互頼みもの交換会に合流。重たいCD-ROMのほとんどとお別れすることに成功。その場で無線機なども返却。
 その日、SchoolFestival@Loveless という名称で参加していた、7日開催の即売会School Festival のブースにも何度か顔を出していたのだが、あろうことか(スタッフとして参加するくせに)自分用のパンフを宅急便(フットワーク)に預けてしまったので、2部目を購入。打ち合わせがこの日の閉会後にあったのだが、翌日の日程の都合から欠席させていただいた。
 5時半頃にビッグサイトを離脱し、同45分ごろにバスに乗車。このとき、(前日に大江戸線に乗る前に購入したものの、その時はメトロカードで乗ったので未使用のままだった、1000円の)スネットのカードがスにも使える < という恥ずかしい勘違いをしてしまい、運転手と都営バスのスタッフを2、3分ほど唸らせてしまった。結局、現金で乗車。運転手の方と、コミケットの客層などについて話ながら東京駅八重洲南口に到着。そのとき、ちょうど5分後ぐらいの発車予定になっていた、特急はくたかと接続する上越新幹線があったのでそれに乗り、11時10分ごろに金沢へ着いた。
≪31日≫
 午前中は、実家で家庭内LANを組んだ。午後からは、神棚の掃除などを行った。そして、NHKの紅白&ゆく年くる年を見て、21世紀になったのを確認してから(?)、毎年の年末は必ず行っている曹洞宗・大乗寺(周防監督の「ファンシィダンス」の舞台にもなっている。記憶は確かでないものの、数年前に就任した曹洞宗の貫首はこの寺の出身だったと思う)の鐘突きに行った。
≪1日≫
 だらだらと起きて、10時頃に朝ご飯。弟には4800円ほど残額がある、オグマさんを迎えに行くときに間違えて買ってしまい、なんばへの途中にもう1枚似たような残額のそれを持っていることに気づいたJスルーカード(JR東日本のイオカードに相当。改札にそのまま差し込める)と現金2001円を選ばせたところ、前者を選んだので、後者を妹にお年玉にくれてやった。
 日中、自分が生まれた病院の同じ病棟に祖父が入院しているので、はじめて自分の生まれた病棟に入った。
 晩になってから、母方の叔父宅で新年会。従弟達にもお年玉をあげたのだが、105円から315円までと金額に差をつけ、年齢に関係なく取らせた。どんな結果になったか知らない。
≪2日≫
 晩に、父方の伯父一家+そこでホームスティしているオーストラリア系マレーシア人(?)の女性+3番目の従姉の旦那さんと一緒に中華料理。毎年、一族でこのような会合を持っているのだが、今年は、昨年と同じ日航金沢(?)のなかでの開催となった。久しぶり- 11月の高田明美展以来 -に英会話をやってみたが、ボロボロだった。
≪3日≫
 野々市の100満ボルトで、父親とコンピュータ系のお買い初め。父親がカシオのおもちゃなデジカメLV-10に興味を示したので、それを購入。晩、それを使ったビデオ撮影をやって遊んだりしてみたものの、音はなしだからつまらない。
≪4日≫
 正午頃から、母方の祖母と母と共に移動。西金沢駅で(前日に払い戻しを依頼したのに、手間取っていたので、後から受け取りに行くことにしていた)中部一周の乗車券払戻額を受け取り、其の近くにある、DOS/Vパラダイス金沢店でUSBの延長ケーブルなどを購入。それから、長町から遠くないところにある、金沢ビールで昼食。
≪5日≫
 母に、通勤のついでに金沢駅で落として貰い、8時55分のスーパー雷鳥で大阪へ。風邪気味+部屋が荒れていたため、その日にムーンライトながらへ乗ることを諦める。
≪6日≫  6時台に起床、7時半頃に犬山あきら=狗女帝ペティグリーチャムさん@大分から携帯に連絡。9時頃に伊丹空港に着くとのことなので、一旦は断ったものの、高速バスのことを思い出したので迎えに行くことにした。ちょうど、上本町発8時15分発伊丹空港行きのバスに乗れた上に、20分ほどで到着した。(ちなみに、彼女が乗るのが全日空であることが手持ちの時刻表で分かったから良いものの、到着時刻を知らなかったら、二つのターミナルの到着口を右往左往するところだった(^^; ) 9時すぎに10ヶ月ぶりぐらいに再会したのだが、奈良行きの高速バス発車時刻は9時15分・・・・ わずか10分ほどの逢瀬だった(涙)  ちなみに、彼女へのお年玉は高速バスのチケットに急遽決定した。
 それから高速バスでなんばに行き、心斎橋の東急ハンズで翌日のためのグッズ− ハリセンなど −を購入し、帰りがけに玄関でやっていたジェンガの対戦で小学生に負けた。日中は、そのあとも学生帽と交通整理用の発光棒(いわゆるニンジン)を探し求め、後者だけ入手。
 晩の7時頃に、オグマさん宅に銀河さんが遊びに行くような連絡があり、どこにいるのかとメールで問い合わせが来た。晩の7時45分ごろに自宅出発。大阪駅8時半発の新快速で米原へ行き、鈍行で10時半前に大垣到着。ながらに乗ったのは本当に久しぶり(約7ヶ月ぶり)のことだった。が……… 豊橋停車中に冷気が吹き込み、寒くて目が覚めて、寝れなかった。
≪7日≫
 5時よりも前に東京駅に到着。とにかく、6時ほんの少し前まで駅のなかをたむろする。(悪いことを書くが、5時までの間なら地下中央口からは抜け出し放題で、18きっぷの1度数をその手で誤魔化している人も見かけた。)
 6時少し前に八重洲南口のサンディーヌ(レストラン)が開く。以前は、つくば号の始発発車時刻6時までのわずかな時間で牛丼をかきこんだりしていた。そこで、牛丼セットの大盛りを頼んだのだが、こちらから確認しなければ、50円を余計に取られるところだった。腹ごしらえも出来たので、暇つぶしに京浜東北線で大船まで行ったら7時45分ぐらいになったので、次に横浜まで東海道線に乗り、目的地は蒲田なので、そこでまた京浜東北線上りに乗ったら、8時20分すぎぐらいに到着した。
 この日、MANAMI主宰の南里みやびさん(男)が代表を務める学園もの美少女・ギャルゲームオンリー同人誌即売会"School Festival" の第2回:School Festival Second Editionが大田区民ホール「アプリコ」地下1階の、前回と同じ会場で開催される、という予定があり、そこにスタッフとして参加するために上京したのだった。
 8時45分に集合し、9時過ぎぐらいに会場に入り、同30分すこし前ぐらいに玄関前で列の形成を行った。しかし、10時の時点で10人ぐらい。同15分の時点で15人強という状態だったので、あまり大変ではなかったのだが、ただただ寂しかった。
 会場まで列を誘導したあとは、2時頃までイベントの写真を撮ったり、自分のためのお買い物をしたり、はたまた某即売会の真似で今回から始まったニュースの原稿貼り付け・コピー(最終的に7号まで発行、ただし1号は予め印刷されていた)など。2時15分ごろから3時まで、隣の会場が音楽の発表会という事情があって、交代でやっていたドアの開閉をやった。3時に閉会したあとは、4時15分まで後夜祭と題した、振る舞いジュース+お菓子(うまい棒が主)やビンゴ大会で盛り上がったので、そのなかの交通整理などをする。 ハリセンは、ビンゴした人の列の最後尾の方に持っていただくことに(勝手に)したので、一応は役に立った。
 4時20分頃にイベント終了したあと、5時前ぐらいまでゴミの片づけが続いた。5時半からは近くの和民で打ち上げだったのだが、オグマさんと合う約束だったので、6時18分ぐらいに抜けて、7時15分頃に某南北線の駅に到着、さらに5分ぐらいでオグマさん宅に到着。同人誌や、怪しい書庫を漁る。このときに、銀河さんとも電話。9時半頃に、先ほどの某駅近く・吉野屋並びのデニーズで約1日ぶりの食事らしい食事をとる。カツの卵とじの和食セットを頼む。話題は、歯科矯正から日本で戦前に試されたという視力回復法の話を経て、歴史の話になり、さらにはユダヤ人迫害の歴史(オグマさんの学部時代の研究分野)の話になった。10時半ごろにその駅を出て、11時頃に東京駅に到着。11時35分ごろに入線した。
 この日、5時半少し前ぐらいに蒲田では雪が降り出していたのだが、3時台か4時台に浜松駅で停車している最中に目が覚めたとき、凄まじい暴風雨で外がよく見えず、プラットホームに空いている雨水溝への穴から2mを超えるぐらいの水柱が立ち、また、屋根から農水を受け止める樋からも水があふれ出していた。そのような状況が(目が覚めてから)5〜7分続いたあと、嘘のように治まった。
≪8日≫
 10時ごろにアパートに到着。宅急便が一つ到着。4時に鶴橋駅でH藤と待ち合わせて、カナリヤ(?)でジャンボ・クリームパフェ(2200円)を一人で完食したものの、耐えきれず、トイレに駆け込んで8回ほど吐いた・・・ 後の4回には血が混じっていた。
 そのあと、冬コミで買った某同人誌(ホッチキス止めすらされていなかったもの1組を含む)を鶴橋駅近くのローソンでコピーして、分かれた。
© or (C) Taisuke ITONO, 2000