The latest information - How I have behaved. 2001年第4四半期の記録

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This document is a dairy-like essay written in Japanese.  

 このドキュメントは日記のようなもので、憂さ晴らしで書いているようなもの(或いは、夜中に井戸に叫んでいる声をテープから起こしたようなもの)も含まれています。仕事関係については、図書館員として一般的な作業については何ら差し支えないことと考えられるので書きますが、それ以上のレベルではあまり書かないようにしています。これは業務内容に関する守秘のためですので、ご了承下さい。通常のブラウジングで読める範囲は、日記の中でも特に差し支えない部分だけであり、私の本音のうち公表するのには問題がある部分はすべて埋めてあります。

Old Diaries
年 / Year四半期 / Quarter主な出来事 / Mainly Occuances
1996-1997 [ 1 - 4 ] 橙路(道)的学部時代
1998 [ 1 - 4 ] 修士一年の苦行。
鴨川、そして有明への傾倒。
1999 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 論文よりも、なぜそっち?
2000 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] 就職の前後のことども。
2001 [ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] - いろいろ〜。

小熊さんの日記 「哀愁日記:底に哀はあるの」
小熊さんの当サイト向けリンク 記述の内容については一切コメントいたしません! 
職場の先輩「あやりんまにあ」Tさん=ゆみへい氏のページ:けろむこっとはうす
Dec. 27, 2001
本日午後10時をもちまして、72時間の臨戦体制となります。
予定は、28日午前8時東京到着、日中は有明、その後は秋葉原経由でめがねさん宅へ、29日および30日は有明に発生する携帯電話不通地帯で聖戦に参加(初日は午後からポイント・東G-42bを死守する予定)、29日晩「青年会議」ミーティングに参加、30日晩に東京発、翌朝に地元到着、1月5日に大阪到着、となります。
緊急の用向きは、携帯電話への音声通話及び携帯電話への電子メールによりお願いします。なお、1日に1回以上は、通常のメールアドレスへのメールも読んでいますので、特に急がない要件につきましてはそちらにお願いします。



冬コミ 買いまわり予定先リスト(敬称略)

U-K 土・西よ08a、
逢魔刻壱 日・東キ40b、浅草寺きのと・後藤羽矢子 日・東ク02各aとb、しかけなぎ 日・東A83b、黒荒馬双海 日・東リ28b、虎向ひゅうら 東E23b、高河ゆん 土・東シ88a、谷村まりか 日・東コ39b


オグマさんのお薦め: さがのあおい(『天国に涙はいらない』の挿絵画家)のサークル「AQUA-BLAND」日・東A22


Dec. 26, 2001
22日、12時半過ぎにH藤と梅田で合流。ヨドバシカメラを見てまわり、そのあと心斎橋で1500円の寿司食べ放題をやる。35皿(ただしものによっては1握りしか載っていない)を食べる。4時ぐらいから2時間、カラオケ。のち、日本橋に移動。

23日、大阪駅に9時に到着。9時半の京都発の高速バスへの乗車を諦めてキャンセル。特急で実家へ。年賀状作成。24日、年賀状の宛名を印刷、セミオーダーの背広を頼む。クリスマス。25日、11時53分の特急で帰る。
Dec. 20, 2001
 14日午後22時45分、出発。同23時20分、大阪駅到着。同50分、ドリーム大阪号に乗る。翌15日午前7時55分ごろ、東京駅到着。最初にJR東日本が11月18日?からスタートさせたSuica イオカード2000円券を購入。8時半ごろ、付近の松屋でハムエッグ定食。六本木1丁目へ向かい、TRON SHOW最終日へ。開場20分前に到着して10分ほど立った後、1階から降りてくるエレベーターにデンパが滲み出た人影を発見。オグマさんであった。
 10時の開場後、まずは教祖様のありがたい法話坂村先生のTRON Engineに関するレクチャーを1時間半ほど聴いた。といっても、坂村先生以外にも日立やApplex社、YAMAHAなどこのTRON Engineに多かれ少なかれ関係する会社(少なかれのほうはYAMAHAですが)の方々のお話しや実演もありましたので、ハプニングも含めて飽きることがありませんでした。(無線LANが繋がらなかったり、試作機?の操作実演の際に某アデラン○の頭皮診断を思い出させるように頭皮がスクリーン一面に表示されたり...)
 1時半まで昼ご飯の時間となったので、食べるところを探して回ったら、ふと東京タワーが目に入った。関東に別れを告げるときに登ったところとして思い出深いところである。ふらふらとそちらのほうに歩いていくと、郵便局の斜め前にDenny'sがあったのでそこで丼物を食べて、再開20分前だからと戻ろうと考えたときに、近辺の地図を発見。住宅地の中を歩いていったほうが早そうだと思ったのだが、土地勘がない人はやっちゃいけなかった。迷った。そうしているうちに大きな道に出て見回したら、日本IBMのビルを発見。しばらく考えてみたら、どうも見覚えがある付近に出ていたことに気がついた。なんとか5分前に戻りついた。
 1時半からはTEPS2002、障害者補綴のための技術に関するシンポジウムに参加、午後5時まで。
 その後、帰り際にオグマさんが家から戻ってきていた(注:午前の部のあと、超漢字3を持って帰宅していた)ので、挨拶して退散。その足で、南北線から水道橋乗り換えでJRにて秋葉原へ。今度はKOR Freaksのほうに合流。あきさん、ヒテルトさん、めがねさんの合計4人で分乗し、自分はめがねさんの車でめがねさん宅へ。降りるたびに、命があることに感謝することができるので、機会があれば乗っている。病み付きともいう(笑) 11時前ごろに眞さんも到着。到着後はコミケの対策立て、っていうかサークルのチェックをしながら、焼きモノを焼く。(結局、半分以上は翌朝焼いたが。)
 翌日の正午過ぎ、全員再起動完了。秋葉へ向かう。駐車場が工事中のために、大行列となっていて、30分ほど並んだような気がする。その後は、主にあきさんのPentium3-1GHzとマザーボード探しの旅となった。そのあと、秋葉で店舗面積最小の中古ソフト屋を名乗る「ねこみみ屋」という店の看板を発見したので見に行った。そこで、運命の出会いが。なにげなく並んでいたチラシの中に、でじこ屋……もとい、ゲーマーズをやっているブロッコリーという会社が出した、「ココロ図書館」の蔵書管理ソフトのチラシがあったのだ。結局、2日後にソフマップ・ザウルス1で購入。
 夕飯はいわゆるザコンの正面の路地を入ってすぐのところにある定食屋でフライの盛り合わせの定食を食べた。
 5時前ぐらいから単独行動をスタート。Nero5.5が3000円であったので買ったり、りゅうき夕海さんが原画をやった「めるとも」という新発売のソフトを探して回ったり、とかする。これも、結局2日後に購入。ちなみに、底値はとらのあな難波店の2階フロアで隣り合っている某中古ソフト屋の4200円であったが、日本橋ではJ&P以外でポスターがついていなかったので、同店で4980円にて購入。
 6時半ごろ、召集されて車のところまで戻り、集合。えらい話しが持ち上がる。
 なぜか前の晩に、誰が言い出したのかはよく憶えていないのだが「二丁○○ま」というサークルを立ち上げることを提案され、しかも冬コミはKOR Freaksも落選しているので、いまから「二丁○○ま」と「KOR Freaks」の合同誌を出してMANAMIに置くような話しになってきた。冗談だとは思うけど、プロットとしてこみパをメインの題材にしてきまオレをいぢめるような内容のストーリーを考えてあったので、それをやってみようかと考えた。もちろん、マニアックに。
 8時15分ごろに東京駅へ移動。Suicaをはじめて使用する。八重洲南口のサンディーヌの並びにあるレストランでパン1個とアイスティーで1時間粘ったあと、9時40分に乗車。翌朝6時過ぎに大阪駅に到着。ドリーム難波号で帰る場合と比べると、大阪駅〜鶴橋駅間の運賃ぐらいは違うものの、部屋に変える時間は変わりないことを発見した。

Dec. 12, 2001
 てるるとクリスマスを……と思い、実家に電話したところ、やらないらしい。そういえば、妹が大学受験だということを完全に忘れていた。

 てるると迎えられるクリスマスなんて、あと何回あるか分からないのに。

 もう1冊ぐらい、いまからやってみようかな。< と、ドツボにはまって自滅するようなことをたくらんでみたりしている。
Dec. 11, 2001
昨日は午前3時半に印刷終了。寝てから、朝9時56分ぐらいにホープ21へ押しかけて入稿。走って、10時27分鶴橋発の準急に乗り、なんとか出勤に間に合う。
退勤後、YUKA BLUEを微修正。京都のスタッフがごねたので事情の説明に勤めたのだが、今度は徹底的に馬鹿にし始めたので退会を迫り、罵詈雑言の末に「辞任」だとほざいたので、<受理せずに除名した>と伝えてあげた。つまらない応酬だったが、こちらも最後のほうは完全にキレていた。それにしても、怪しい日本語文にしろ、礼儀知らずなところにしろ、マスコミに就職する奴にそんなレベルの人間がいたとは思いもしなかった。例外であるとは信じたいが。

Dec. 10, 2001
午前0時すぎに表紙原案が完成。あとはメンバーの了解を得ることと、本文にお〜いしいよ師匠の編集後記が間に合えば追加することぐらいでしょうか。< まあ、代表の南里師匠のOKは出たので本文も入稿準備したけど。

なお、使う印刷所は京橋のホープ21になりました。で、間に合わなければ、なぜか間に合わせてくれるという噂の金沢印刷になります。
 8日はジュンク堂大阪本店で村山先生のサイン会があり、YUKA BLUEの取材スタッフとして残り二人の指揮にあたった。一人は本物の登録スタッフだが、もう一人は頭数のために頼んだH藤T之その人だった。(大雑把なことはレポートに載せてありますので、記名原稿ではありませんがそちらをご覧ください。)
 まず12時に大阪中央郵便局前で京都在住の登録スタッフ「よーすけ」さんと待ち合わせて、H藤が10分遅れで到着ののち、駅内のミスタードーナッツに赴くも満席。仕方なく、地下道に入って和食のレストランで定食を頼んだ。それが12時半ごろで、自分は豚生姜焼き定食、H藤は卵焼き定食、よーすけさんはケーキセットだった。これは全額奢ることにした。1時半まで粘ったのち、ジュンク堂へ移動。最初に会場となる3階喫茶室(2時から貸切になる旨掲示されていて、その時点ではまだ喫茶室は営業していた)を下見した後、1時45分ごろから30分強ほど立ち読みして、2時20分すぎに(一応は問題ないように事務所側で計らってもらえることになっていたものの、念のため)店側にご挨拶をする……が、話しが通じていないことが判明。どうやら先生ご本人から当日伝えられることになっていた模様だった。そこで、講談社の方に事情を説明して(社会人の習性でつい本業のほうの)名刺を渡したところ、OKをいただけた。そのあと、ふとレジの付近で声を掛けられたのだが、そこには冬香 基(とうか もとい)さん@泉市(和歌山)が立っていた。
 2時50分より開場となり4列縦隊に列が作られた。お茶目にも一緒に入場した私は実に馬鹿だった。ダメダメである。
 結局列を抜けて、荷物を一ヶ所に集めて取材開始。まず役割を定めた。H藤には人数カウント、よーすけさんにはデジカメでの撮影を頼んだ。写真撮影上の注意(肖像権がらみのことなど)を与え、自分は冒頭のスピーチの録音とデジカメでの撮影にあたった。
 すると、いつのころからか会場後方に置かれていたテーブル付近に花束を持った人のほか4人ほどの集団を発見。……思い出すのが遅れたが、「風のたびびと」主宰のRieさん@滋賀+そのともだちーず3人と、いっぽんさん@東京だった。そこで、冬香さんと彼らを引き合わせた。
 4時15分にサイン会が終わりかけたころ、最後から二人目ぐらいでサインをもらう。これは「Special Thanks」の文字が入った。有難いことである。最後に、いっぽんさんが花束を渡したところで、サイン会の幕が閉じた。
 そのあと、冬香さんを交えて4人で、ジュンク堂のあるビル・大阪アバンザの地下1階にある店でコーヒーを飲みながら30分強ほどダベってから、よーすけさん以外の3人で御堂筋線で日本橋へ。H藤とは少し廻ってから別れ、冬香さんと私だけになった。ちなみに冬香さんはBlue Windでのメンバー同士ということになる。 そこで、「M&M」に使う原稿用紙を探すことにしたのだが、あることに気がついていなかった。(そもそも、原稿を渡すだけか、コピー本しか作ったことがないので、経験不足のゆえのことだが)仕上がり寸法がA5のときに使用する原稿用紙もそれに近いサイズのはずだと、今考えればおかしいことだが、A5サイズからす腰大き目の原稿用紙を探して回った。無かった、というか、あるはずがなかったのだが無知ゆえに探した。で、結局、南里師匠に電話して、理解できなかったので電話を冬香さんに代わってもらい、その結果何とか理解できた。
 で、いまは版下を印刷している最中。(ただいま、午前3時少し前。)
Dec. 9, 2001
宣言  今週火曜日の私の退勤を妨げる者は一人残らず呪われます。ケッケッケッ。


……表紙ができてない(涙)
Dec, 7, 2001
 書き忘れていたが、日曜にJR難波駅・OCATの地下1階の広場で、伊賀上野市の観光キャンペーンが開かれていて、手裏剣を3枚100円で投げれるとのことで、チャレンジした。結局、1000円をつぎ込んだが、まともに当たったのは5枚ぐらい…… 一日投げ放題って、どこかでやっていないものだろうか?

 月間不在予報

8日珍しいことに大阪市内で作戦行動
14日深夜〜17日早朝KOR Freaksのコミケ対策会合のため、東京へ
27日午後10時〜30日夜有明聖戦に参加するため、東京へ
(29日および30日の日中は携帯電話が凄まじく混雑する地域にいるので、携帯メールでの連絡を推奨。)
31日早朝〜翌年翌月3日ぐらい?帰省

 ボーナスが13日になった。もうちょっと早くくれればいいのに、と思う。非常に切実に。
Dec, 2, 2001
 サイン会は盛況だったらしい…… スタッフの活躍と人山の黒だかりってやつを見れなかったのは無念の一言に尽きる。

 うぐぅ。(大大大大大凹)


 凹みタイム、終了。
 3時前ごろ、まつもと先生から携帯に電話が入った。「玉音」を聞くのは、下田で会ったとき以来であり、懐かしいと思ったのと同時に、ようやく連絡が取れたことに安堵する。というのは、メールの返事が来ていなかったのが主な理由だが、一番の用件は、この日の未明にまつもと先生のメール転送でループが発生しているのを感知したことに関して相談する必要があったためだった。そこで昼前にウェブサイト(正)管理人の藤倉さんと相談して、ご自宅まで連絡をいれたのが昼頃、かかってきたのはその返事の電話だった。

 話のついでに2点ほど確認しておいたので、書いておきます。
1. 21日発売の「新きまぐれオレンジ☆ロード」のイラストは、確かに先生が描かれたものであるので、告知に誤りはない。  つまり。久々のまつもと先生のイラストが掲載される、ということに他ならない。
2. 過去の「M&M」のなかで、無断で原作コミックからコピーした絵を使用していたこととの絡みで、総集編(復刻版)発行時に無断使用部分をそのままにしてよいかとお伺いを立てていたのですが、そのままにしておいてよろしい旨のお返事をいただきました。原作者がOKを出したのだから、口約束であろうとも許諾は許諾、これで大手を振って発行できます。しかも、絵ではないけど、コメントまでも頂けるというお申し出がありました。

……この前のチャット、闇に葬らねばならない部分が出てきたな(ボソッ)
 今日、日本橋に行ったら遠くに赤色灯の山があった。T-zoneの斜め前にある臨時交番のあたりで火災があり、小火が残っていた。道路はTWOTOPの南側の交差点と、陸橋のあるT字路の交差点の2箇所で遮断されていた。小路でも消火栓がそこらじゅうで開かれていて、消防車があわせて8台ほどに救急車1台が来ていた。
Dec. 1, 2001
 翌週土曜にサイン会に出るために、交換してもらったのが今日土曜日。明日のサイン会に出る余力はありません(漢泣)。そのかわり、スタッフの手配はしてあるのでなんとかなるであろう……と期待している。自分で取材できないことのほうが悔しいのだが、諦めた。今月は旅費がかかるので、運が悪かったことにする。
 退勤後、布施のコミックランド・ヒバリヤで、あすか正太『恋する国家権力』(総理大臣のえる! ; 2)と、『藍より青し』7巻を購入。前者のアルカンタラ王国「戦争憲法」と「のえるの刑法改正案」、後者の総巫女化に思わず親指を立てた。

 昨晩は、IRCでMANAMI恒例・きまオレ対談。11時半から今日の2時までの約3時間半。発言数約400件からなるそのログをExcelで取り込んで、退勤後にまとめたところ約200件にまで減少した。もちろん、リアルタイムのチャットであるが故の発言の前後などを接続部分を5,6文字捏造することでつなげていったりした結果である。意味が通るチャットに仕上げるための最低限の加工として容赦していただきたい。> 購入予定者諸氏様様。
 今回の「M&M」では、京都でやったラリー・グリーンフィールド氏へのインタビューや、今年下半期にやったヨーロッパ各地におけるテレビ版きまオレキャラの変名の経緯に関する調査の結果など、それなりにまともな内容もいれておきますので、表紙に絵がなくても赦してくんなまし。
 ページ数は、インタビューが8ページ、上記の調査が約3ページで、あとデフォルトで編集後記が1ページと奥付が1ページと目次が1ページと標題紙が1ページありますので、15ページは確定しています。これに加えて、チャットが7ページぐらいだから、調整したら合計24ページってところでしょう。

これが終わったら、次は"YUKA BLUE"白書が待っている。

Wave Studio公式ページのログを見ていたら、http://pocketschool.net/cgi-bin/webboard/02192.aspというリンク元を発見した。いざ読もうとしたら、ハングルでも簡体字でも繁体字でもキリル文字でもなさそうだったので、ドメインを調べてみた。

pocketden
anurak sirivoravit
1083/16 krungthep-non Rd
Bangkok, XX

……読めないわけだ。



ちなみに、Wave Studio公式ページ"YUKA BLUE"はどちらも一日あたり約1500(±200)ページビューほどである。(前者は結構揺らぎがあり、多い日は4000ページビュー以上になる。)
 堀江由衣の新盤『黒猫と月気球をめぐる冒険』の収録曲で特に『この指とまれ』『心のカギ』『So depecher』、次点で『フェイク・ファー』が気に入った。『どんなことだって』は曲が部分的にちょぃと古めなのが辛いけど、これを唄っている女がいたらきっと退けると思う。
 逆に『朝の声』は、これで起こされたらめちゃくちゃ不機嫌になれそう。あと気になったのは、ボーカルにやや耳障りな装飾音が混じるようになったこと。
(それにしても、depecherはdepecheの比較級と解釈すればいいのかな? デンマーク語か、ドイツ語か、はたまたノルウェイ語あたりかと悩んだのだが…… home-homer-homestの国だしなぁ。)
Nov. 29, 2001
 退勤後、布施のアニメイトで予約していた堀江由衣の新盤を購入した。ここでは火曜日に「こみっくパーティー」DVDの6巻と『行殺 新撰組』のMOOKを購入したばかりだ。後者にはオープニング『みつめて▽新撰組』(「▽」はハートマーク < コミケカタログの表記に従った)や他のライアーソフト製品オープニングの高画質版ムービーが入っているというので購入した次第だが、猫まっぷたつはやはりココロのどこかのツボに効くものがあるなぁ、と今更ながらに思った。
 次に、歯医者にいく。なんでも、歯列を安定させるのに後1年かかるという。でも1年以上はかからないとも言っているので、1年通うことにした。………今日から1年以内で絶対に終わると言ったよな、確かに言ったぞ、間違っていたら値切ってやる。   とはいいません。そこまでせちがなくありません。
 8時ごろに歯医者から帰ってきたら、ポストに宅急便の不在連絡票が入っていた。ローソンに預けられていたブツは、発送人がアドビストアと書かれていたので分かっちゃいたが、AdobeのPage Maker 7(アカデミック・パッケージ)だった。購入価格は(21,000円+送料700円)×1.05=22085円で、これに郵便局での振込みに数十円+FAXの送信にかかった費用が加わっているが、生協で頼んだら22,000円×1.05=23,100円かかったらしいので、800円ぐらいはメールオーダーのほうが安くついたことになる。

Nov. 27, 2001
 昨日の午後6時半前ごろ、Y99嬢が襲来。「薄い」やら、何やら、PTSD気味になるような台詞を悪気無く浴びせてきた。そこに、授業(※月曜は、図書館2階共同研究室(左)を使用)を終えた館長が帰還して、ますます喜ぶY99嬢。而して、御受難あそばされた。不意の「頬ぷに」を初め、書きたくもありませんです。この方が来るたびに、更に「薄く」なりそうな気がする。結局、20分ほどで退散。

 昨日の朝6時、あることに気がつき愕然とする。
 560人ほどにあてて送信していたと思っていたメールマガジンが、実はメールアドレス5個分(約8人)にしか送信されていなかったことを発見したのだ。要するに、メールマガジンへの登録をactivateするためには、同じメールアドレスがかかれたファイルをもう一つ用意する必要があることにまったく気がついていなかったのである。悪夢のような発見だったが、もうこれは詫びまくるしかない。
 届かなかったことに思い当たる方は、バックナンバーをご覧くださいな。(注:最初の2号ぐらいを除いて、自分が書いたものです。)
 先週は動きまくった。火曜日の退勤後、まず日本橋の道具や筋で布製の腕章を探すのに失敗し、ソフマップ・ザウルス2でアイロンプリント用紙(A3・3枚)を調達した。木曜日は、閉店時間の順に、ソフマップ・ザウルス2(8時閉店)で厚紙・非光沢のプリント用紙(A4・20枚)を調達したのち、8時過ぎに地下鉄で心斎橋へ移動し、今度は東急ハンズ(8時半閉店)で腕章(ビニール製・中に紙などを入れて使用するタイプ)や私物を購入した。
 木曜日の晩にPhotoshop5で腕章(team Crescent取材スタッフ腕章)のためのデザインを組みなおしたりなどした。
 金曜日(労働感謝の日、父親の誕生日でもある)の朝に、昨日データを作り直した腕章の画像をプリントアウトして、封筒に詰めた。(その封筒は、翌朝郵送した。) このとき、「YUKA BLUE」で修正する項目があったので修正した。結局、1時半ごろに出発し、2時49分の特急で5時20分に地元に到着。母親と母方の祖母が迎えにきた。実家到着後、すぐに御曹司代理こと輝を散歩に連れ出し(連れ出され?)た。父親は夜勤のため、同日の朝10時より翌日の同じぐらいまで不在。
 土曜日は、朝から4、5回は輝の散歩をした。父親が時計を買うべく市内を動き回るのに付き合った一日だった。これまで使っていたオリエント時計製の腕時計が電池切れとなり、電池が10年保証のものを探して回ったのだ。
 日曜日は朝10時より、輝を連れて、父母と大根引きする。引っこ抜かれて、洗われて、吊るされて、そのうち1本は抜かれてまもなく食べられた。(< 唄っちゃダメです。) 任天堂のゲームに出てくる、あの健気なピクミンのような忠誠が大根に1%でもあれば自分たちで体を洗ってくれるだろうに。そういや、おはつさま@『千と千尋の神隠し』ってのがいたが、あれはオヤジな神だったような気がする。オヤジ洗浄中。まあ、それはいいとする。
 3時8分の特急で6時過ぎに大阪到着。ジュンク堂に行こうとして、まちがって先日オープンしたばかりのヨドバシカメラ・マルティメディア梅田のほうに出てしまう。間違ったなりに、ついでに地下1階と地上1階だけを見て引き返す。地下道で北新地駅を目指し、地下鉄四つ橋線とJR東西線が交差する交差点付近で地上に出た。目の前に大阪第1ビルがある。方位磁針はないので方位は自信がなかったものの、大阪第1ビルの南西側にいるはずだということだけは覚えていたので、ジュンク堂書店大阪本店(堂島)にたどり着くことができた。なぜここを目指していたかというと、8日にサイン会があるため情報収集の必要があったからだ。サインをする側とサイン会の主催との間で、開催日時(正確には開始時刻の意味で)と場所と禁止事項以外の条件が決まっているかどうかは怪しいので、主催する側にも話を聞いておくことにしたのだ。サインをする人数は主催側は150〜200人と言ったが、その晩にサインをする側の関係者に聞いてみたら別に決まっていないという。やはり、こういった類のものは主催側に聞いたほうが早い。新刊を買って、整理券をもらったら29番。発売が予定日から1、2日遅れだったことを考えると、正味4日で29番ということは、1日7人。開拓の必要をつくづくと感じた。そういえば、10月に東京に行った際に青野さん・オグマさんとの夕食の席で、オグマさんが人民解放軍は屯田兵のようなものだと言っていた。給料以外は自給自足らしい。さしずめ、自分もそういうようなところかもしれない。そうすると、昨年3月の関西支部設立壮行会は在大阪屯田兵出発式だったってところだな(笑) 話を戻すと、そのあと3階の喫茶室を下見し、そこまでの経路を確認。喫茶室は6人がけテーブルが三つに、窓際の12席をあわせて計30人収容のものだった。テーブルを詰めるとして、順番待ちの行列は全員立っているわけだから、やりようによってはその場所だけで60人ぐらいは待たせられる。ただ、喫茶室から外に行列を伸ばそうにも、余り条件は良くないので、番号順に呼び集める方式になるかもしれない。これは主催側が悩むことなので、どうでも良いことなのだが。

Nov. 26, 2001
ろくでもなさすぎる替え歌を思いついたので、埋めることにした。
早速某所に送ろうとして、何を考えたか犬山あきらさまに送ってしまった。
壊れていた。いつもどおりだった。(< プロジェクトXのナレーションのように読むべし)
Nov. 20, 2001
 今日は朝から"YUKA BLUE"の更新。リンク集の登録募集を開始してみる。

 I倉さんより携帯にスカイメールが届く。遡及作業で壊れ気味だから、「遡及人間ソキューン」のテーマを作れ!とのことだった。直ちに、受けてたった。
 殺しにこないでくださいね………


『ごソキュンだぜ』

早急ューン 遡及ューン
キーを打つ 脳ミソが煮える
「情報研に無いよな本は超ドキュソ!」
ごソキュンだぜ


ごめんなさい。考え直します。(「ドキュソ」の意味がわからない人は幸せです。それでいいのです。)



『遡及人間ソッキューン』

さらば人倫 遡及のための
改造人間ソッキューン

一月前の生身のころは
こんなケッタイなボディーになるとは
誰が思った? 思ってたのは
ただひとり 背後にたたずむあの人
(効果音:パヤヤヤパヤヤヤヤパッパパヤヤヤヤヤヤヤヤッ)
改造されて 人に戻れぬ
『...give me 「青春」』
遡及人間ソーッキューッンー



Nov. 17, 2001
 昨日、仕事から帰ってきて自転車に乗ろうとしたところで、家の鍵がついた携帯電話を職場に忘れたことに気が付いた。6時15分、泣く泣くこの日の2往復目に突入した。

 今日はY99が再襲撃した日、そして月曜にも襲撃予告が来ている。みかじめ料は払ったじゃねーか、おひ。(昨日までに奪われた金額の累計:4500円)
 ここで、Y99の名(迷)言を一つご紹介しておこう。図書館長の「勉強しなさいね」という言に対して、「そんなんやってどーなるんですか?」と答えたらしい。就職が決まっている彼女らしい返答ではあるがいただけない。
2時ごろから、勤め先の系列にあたる高校(ちなみに中学もある)の2年生が見学に来た。で、シープドッグ係(行列の後ろから列を押す係)として生協委員の学生さんたちが来て、当然ながらあの「Y99」嬢が来ていた。本来はいらっしゃらないはずだった館長先生の姿を発見したY99嬢は、嬉々として寄ってきて、話し始めた。今日の話題はゲーム、特に「Dance Dance Revolution」(いわゆる、DDR または だだれ)の解説。だが、話が通じたのは私のほかお一人だけ。いきなりそれは話が通じないと思うが。それに、DDRが流行しだしたのってもう4〜5年前では? 謎はいよいよ深まった。しかも、「ファイナル・ファンタジー」の略であるFFを知らなかった。更には、それが映画になっていることも。

 故に、次のように推論した。「液体窒素入りの肥溜めに全身ではまって2年ほどを過ごした可能性がある」と。
 退勤後、T田さんの代理で、勤め先の大学の家政学研修施設ということになっている、初代理事長の邸宅でのバーベキューに参加した。5時半スタートのため、子豚の丸焼きにはほとんどありつけなかったものの、D原先生に勧められて耳を食べてみたところなかなか塩が効いて美味だった。さすがに、鼻の先は遠慮させていただいたが。なお、出発前には図書館関係ではほかに誰もいないと聞いていたものの、実際にはK手さんが炭管理係になっていた。
 そこに、理事長(兼 学長)のお犬様登場。名はエドと発し、短毛の黒いレトリバーのオスだった。そういや、某「カウボーイ・ビバップ」にもそのような名のキャラがいたな、と思い出してみる。また、エドワード・エドワーズという人物がいたな、とも思い出してみる。また、エドではないが、やんちゃ坊主のバドことバドリナード・ハルチャンド(?、「パトレイバー」に登場)を思い出す。バドもそういや黒いグリフォンに乗っていた。これら二つの間に脈絡はないが。このエドエドは、実に強力な犬で、気を抜いたら引き回されそうであった。4時間のうち、ほぼ2時間はお犬様との時間(言い換えれば、お犬様係)であった。犬欠乏症は一気に吹き飛んだ。当然の結果として、背広とカッターシャツはクリーニング大決定状態と相成った。でも、可愛かったので赦すとも、うん。最後のほうには、自分がやったわけではないが、エドエドは 袈裟固めを喰らいながら、逆らわないことで服従の姿勢を見せていたところがいじらしかった。まさに主従関係。身に覚えがあることはありますが。
 9時過ぎごろに解散と相成り、小一時間をかけて撤収したら10時になっていた。で、僅かに酔いながらこれを書いている次第です。
Nov. 15, 2001
知らない間に、自分のNICハンドルが「LAIKUCHJKI」になっていた。
昔は、TI○○○だったのだが、いつの間に??
Nov. 12, 2001
 コミケ準備会より封筒が届く。ラベルは茶色…… MAMAMIが当選しました。(正式には「秘密結社MANAMI」ですが、申込上では省略しています)
 スペースは土曜日の東G-42bと、お誕生日席から島中に落とされましたが文句は言えません。なにせ、夏に書類不備をやらかしたのだから。

 なお、Blue Windは3度目の落選となりました。



 MANAMIの当選を受け、牛乳1リットルとケーキ(380円)を購入して、一人で祝賀会をする。その途中で、MANAMI代表きんちゃん(または、南里みやび)さんより携帯に電話が入る。なんでも、LoveLess(注:Key系大手のサークルとは別)も当選したとのこと。
 そのついでに、来年4月29日にイベントをやるので、スタッフに来いとのお達しが来た。このイベントは、3回続いた「スクールフェスティバル」の後継?にあたるもので、「久遠の絆」中心FOGオンリーイベント「久遠の恋物語」というらしい。 来年度の予定についてはまったく明らかではない状況なので、4月初旬にスタッフにでれるかどうかをお返事する旨を伝えた。


(Nov. 17, 2001追加)
 昨日、南里さんと電話で話した際に、「スクールフェスティバル」の後継ではない旨の説明があった。ただし、会場の申込上はそういうことにしたほうが簡単らしいとのこと。

 コミケ当落の情報がいろいろ入ってきた。
 このサイトもお世話になっている高橋まどかさんは、投函日が消印の翌日だったこともあり,受付番号からしてやばかったらしく、結局落選したとのこと。
 犬山のぼる(元・犬山あきら)っちは、周囲が何人か当選しているのに自分だけ落ちたと電話で泣いてたので、励ますべく、40分ほど話しまくる。(ネタは当然、ろくでもないことに集中しているが。) 何度も説明したと思っていたことだが、MANAMIがFCジャンプであることを説明し、いざとなれば委託を受ける旨を表明しておいた。

Nov. 11, 2001
 昨日は 12時半にH藤と待ち合わせだったのだが、結局20分ほど遅れた。発掘した「Bleem!」や借りていた「To Heart」DVD Vol.1などを渡す。3時半ごろから6時まで、フリータイムでHyper Joyで唄う。その手のジャンルが充実していることで知られているが、自分にとってはナデシコ関係の挿入歌が充実しているところが嬉しい。なんでも、投票を行っているとかで、その中の候補曲として「エクセルサーガ」の「哀愁のボレロ 〜 食すのね」が入っていた。実現すれば、喜ばしい限りだ。歌詞はもともと犬語だが、リバースバージョンとか書いてあったところを見ると、日本語の説明のほうが歌詞になっているのだろう。

 今朝、起きたら西形公一さんと高橋まどかさんからメールが来ていた。
 しまったことに、高橋さんに「M&M 総集編」発行延期の情報が届いていなかったことが判明。お詫びがてら、延期後の日程について説明し、それについては再度の延期はありえないことをご説明しつつ、冬コミに当選した場合の寄稿をちゃっかりお願いしてみる。幸い、原稿の素案が出来上ったぐらいの状態だそうなので、最悪の事態は免れたようである。

 西形さんからのメールは発行延期について残念である旨を伝えつつ、「青年会議」への参加を呼びかけるメールであった。以前にも参加する旨は伝えていたのだが、別の旧マンガ防衛同盟(いわゆる「まんぼう」)系MLでこれ(青年会議)をNPO化することを意図した、総会を開く旨の告知があったので、これとの絡みであろう。NPO化にあたっての定款の原案ができて、意見を募集していたので、メールで訂正個所を提案しておくことにした。特に読みにくかった目的規定の書き直し案で多少てこずったこともあり、書くのに1時間ほどかかった。定款が東京都の審査を得た段階で、定款案にある団体の目的規定を掲載したいと思う。感想:「とともに、」は悪魔だ。


 昨日の朝10時ごろ、速達で新刊『すべての雲は銀の… : Silver lining』の表紙として先日確定した案と、候補になっていたものの採用されなかった案の二つが送られてきた。YUKA BLUEで使うための素材である。いま、この運営団体の事務局みたいなことを一人でやっている状態なので、なんとか今月中に各部門の割り当てと実行を促さないと…… 冬コミもあるしなぁ。
 それはともかく、今日になってから、送られてきた素材を使って新刊情報を更新したのが12時ぐらいだった。

Nov. 10, 2001
 昨日の夕刻4時半ごろだっただろうか…… 入試の日だったので土曜並みに4時で閉館し、玄関を閉めたあとの出来事だった。
 事務室の窓ガラスの外から「かんちょ〜いる〜〜〜、かんちょ〜」と叫んでいる、聞き覚えがある声が。ブラインドを開けて顔を見た瞬間、本能に従ってすぐに閉めた。その学生は、学園祭の前日に事務長などなどに食券(合計2500円)を売りさばき、しかも館内ですぐに仲間に隠しもせずに分けた、私にとっては脳みそに刻まれた人であった。仮に生協委員の短大部2年生・Yさん(私的には、「T99」という格好の前例?に基づき「Y99」と呼称したいのだが)としておこう。その彼女は、その直後窓ガラスを叩き始めた。そこで派遣社員Kさんがドアをあけて調停?に乗り出したので、この際に親睦を深めていただこうと思い、ドアを閉めた(笑) 彼女には大不興で「いとのさぁん、さいあくぅ〜〜〜」とブックポストをあけて叫んでいかれた。3分ぐらいの後、ドアを叩く人がいたが、とりあえず忘れることを心がける。結局、すぐにほかの人が開けた。第2波が来る日は近い、と思う。

 水曜日、バスマニアの同級生(学部の)にして同業者であるいずみさん@八王子より、よき知らせが届く。
 「JR系バス会社、東京―大阪間5000円の高速バス」という記事と、西日本ジェイアールバスの公式サイトによると、ジェイアールバス関東(東京・渋谷)と西日本ジェイアールバス(大阪市)が「青春ドリーム大阪号」「東海道昼特急大阪号」という、二つの新規路線を組むらしい。前者は、青春1号と青春2号という、本名に対してもっともな略称が付けられている。
 恥ずかしいネーミングである。「青春18きっぷ」に匹敵する。

 なんだか、引っ越してきた直後に日本橋に「とらのあな」ができたのと同レベルで、運命というやつが味方している気がする。 気のせいだ、とは分かっているが。
 上記の件について、水曜の9時過ぎだったかごろに電話したのだが、メールにも書かれていた『ココロ図書館』という作品に話が移った。
 いずみさんはメールで書いていた。「図書館なのになぜメイド着? 仕事やりにくそうだぞ」、と。
 いいじゃん。 だいたい、大英図書館がでてくる『R.O.D』にも似たようなのがいたし、仕事がやりにくそうとはいえメイドさんはそういう服で働いているんだし。(< 若干の誤解あるいは偏見を含んでいる可能性があります。よい子は鵜呑みにしたらだめだよ。)

 つぎに、財源の話になった。そもそもあれは、図書館の5分類的には何になるのか?という疑問である。ココロ図書館(注:館の名称はタイトルと同じ)は3人姉妹により運営されているのだが、その父母もまたこれを運営していた設定になっているので、世襲ということになる。まず、公開されている私立図書館の可能性が高くなった。「財団法人 ココロ図書館」といったところだろうか。
 しかし、まずありえないが次の可能性も考えてみた。もし、公立図書館だったら?という疑問である。もし非常に過疎の町(注:クリスマスの市民に対する図書強制「貸し付け」のシーンで、ほんの体積からして世帯数は知れているふうだったから)でなり手がいないため、宮内庁雅楽部のように世襲制を許容していたら?  実は、ココロ図書館の財産はすべて一族からの寄贈によるものであって、そのことから特別に世襲による司書を認めていたら? 謎である。

 その他にも
  ・複本が3冊ぐらいみえるシーンがある。  ・医学書コーナーがある。  ・タッチパネル型の検索端末がある(入力に時間がかかる上に、たいがいは単純な検索しかできないので、公共図書館以外には向いていない)。  ・『図書館の心得』というスタッフマニュアルが整備されている。  ・業務用端末に「貸出し取り引き」なんて用語が出てくるところからして、外部のパッケージを買わずに、自館でプログラムしたのかも?(姉はマシン語ができるぐらいだし)  ・クリスマスイヴに、町の家々に蔵書を置いてきて、無理やり貸し出し、しかもそれを回収して回る…… というすごい行事がある。  ・利用者の嗜好を記録している。ということは何を借りたかをすべて調査しているはずだが、これっていいのか?  ・なぜか外部委託する程の量の蔵書を持っている。逆にいえば、それだけ買っているはずだが。


 かわいいから許す。
 犬山あきらさまより、「一万回ぐらい繰り返し聴いてたら神になれそう」というmp3のリンクがメールで送られてきた。

 何がいいたいんじゃ、こら?(笑)
(ちなみに「僕はロリコン」というタイトルで、劇団ビタミン大使「ABC」の主宰・宮川賢さんほかで作ったらしい。そういえば、大学院のN沢さんが学部時代、「週に一度は近親相姦」という歌をたまに歌っていたと聞かされたことがあった。)
Nov. 5, 2001
 2日午後5時30分すぎ、退勤。37分、電車に乗る。6時8分ごろ、大阪環状線に乗る。同30分ごろ、大阪駅到着。同42分、特急でGO。2時間33分後、地元到着。遅い晩御飯にあり付く。午後10時半、Yahoo!BBが使えない原因を調べはじめる。ケーブルの接続を確認し、マザーボードにもとからある10Base/Tの設定を調べてみる。IPアドレスが192.168.0.1・・・・・ ダメです。要するに、家庭内LANのために使っていたアドレスを消すのを忘れていただけでした。このために戻ってきたと思うと、ため息が出ましたとも、ええ。而して、寝る。

 3日、10時半起床。12時ごろだったかに、ミスターコンセント金沢高尾店まで、携帯用カセットレコーダー1個を修理に持ち込む。これは、これまでの主なインタビューや記録に使用してきた思い出の機械(というほどには使っていないのだが)なので、4500円の修理代に応じることにした。1時ごろ、帰る。1時半ごろ、父母と母方の祖母と一緒に、鶴来まで きときと寿司 というチェーン店に昼食を食べに行く。海ではなく、山の方向に食べに行くのには疑問を感じるが、流通と地価の都合ということで片付ける。途中、4〜5分ほど回転寿司のくせに止まった。回れ回転寿司、と呟いてみた。 2時45分ごろ、祖母を三馬温泉に落として、JR西金沢駅へ翌日の特急指定席・乗車券を買いに行き、その足でその近くのアピタにあるダイソーへ安物買いに。3時50分ごろ、祖母を拾って、実家経由で、夕食の買い物に。帰りに、パンを買う。5時半ごろ、雨の中をてるるとお散歩に。15分ほどで切り上げて、玄関の軒先でバスタオル攻めにし、痒いところを掻いてやる。きもちよさそうにして、腹を出してきたので撫で回す。ついでに、玄関内に連れ込んでみた。だが、奴の顔は「ぼく、かえる。」の一点張りだった。

 4日、昨日の雨とは打って変わり、曇り勝ちの晴れ、後に快晴。8時45分のバスで母と兼六園下へ向かい、9時10分前ごろに石川門内に入る。第18回全国都市緑化いしかわフェア:夢みどり石川という催しがあって、そのなかの目玉である復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(がひっついている建物)が最長で待ち時間90分、コミケで言えば中堅企業ブースや帰りの東京駅行き都営バスの行列ぐらいの列になる建物が目当てだった。20分前に会場に着いた割には、二つ目の塊に入ることができたので、待ち時間はたいしたことがなかった。工事が間に合わなかったために、金属製の木ねじが暫定的に床の一部に使われていたり、建築基準法にあわせるためにスプリンクラーの水抜き用の穴(家庭用ポストの口のような形状・サイズになる)が床に開いていたり、はたまたエレベータや車椅子用のスロープがあったりなど、いろいろ現代向けには変わっていた。でも、根本的な構造は伝統的なものでやってあるらしい。
 次に、三十間長屋、本丸跡、鶴丸倉庫を経て、先ほどの菱櫓を真横から眺める出店で「百万石弁当」として何軒かの料亭が日替わりで出している弁当を購入。1個1500円と、お茶のペットボトル200円を計2人分。この日は金茶寮のもので、散し寿司に、鶏などの地治煮、ゴリの甘露煮? に、はんぺん、焼き魚の切り身。母の評価額は、1000円。激しく同意する。ただ、酢飯については非常に程よく抑え気味になっていて、食べやすかった。味付けの面では多少、舌のお勉強になった気がした。 なお、この金茶寮は実家からそんなにも遠くないものの、ぜんぜんなじみがないどころか、名前すら初めて聞いた。有名なところでは、つば甚や大友楼などがあるが、ただの私の勉強不足か、知名度が低いだけなのかは定かでない。
 この催しでやめて欲しかったのは、キャラクター。これが可愛いか、どこをどーやったらそう思えるんだよ、をひ?。感想としては、黒い目線を入れて回ってやりたかった。こういう展示もあったが、作った人には悪いが、幼稚園児には悪夢に近いと思うぞ。同フェアの前回(15回)の奴もやはり可愛くなかった。のっぺりしていればそれでいいのか? 轍は踏んじゃいけないと思う、だから次は『いも・・・・・(自己規制)。人倫は大事だ。
 そのあと、石川門内部の特別を見てから会場を出て、兼六園で池を一周し、日本武尊銅像にご挨拶。徒歩で香林坊アトリオに行って、1時57分のバス(実際は5分遅れ)でもとのバス停に戻る。2時半ごろに家に到着。てるると遊ぶ。常々思うが、本当にいい子だ。4時10分、てるるにご挨拶して家を出る。4時半過ぎ、金沢駅到着。駅内の喫茶店に入り、母と、抹茶とマロンのケーキにコーヒーをつけて、20分ほどくつろぐ。次にお土産タイム。1個を自前で買い、1個を母が買ってくれた。5時14分、出発。8時10分すぎ、大阪着。

Oct. 29, 2001
 今朝、東京から帰ってきました。往路も復路も高速夜行バスだったんですが、東名集中工事の関係で、往路は中央道経由になりました。寝てたから関係ないけど。

 土曜日は、朝ついてからまずサンディーヌの朝定食を食べて、歯ブラシを調達した。次に、暇だったので、新木場経由で東京ビッグサイトを参拝(笑)拍手を打ったわけではない。願い事は「受かっていますように」「無事に来れます様に」の二つ。45分ほどいて飽きてきたので、都営バスの虹01系で台場駅まで。フジテレビの本社の付近をうろつく。特別警戒中らしいが、他国のメディアも同様の状況なのだろうか? ゆりかもめ経由で秋葉原へ移動し、かなり小さい頃にいったことがあったような気がするが記憶の怪しい交通博物館にいく。9時半の開館を待つ羽目になった。そのころ、続々と遅刻の情報が入り始める。渋滞にはまった、etc.。待ち合わせ場所は秋葉でお願いしていたが、結局は御茶ノ水に変更した。
 御茶ノ水駅御茶ノ水橋口で12時すぎごろ、一人目と合流し、駅に向かって右隣にある中華料理店に入る。昼食は天津版と餃子。その店で12時25分ごろ、青野さんと合流。青野さんは、手っ取り早く出来上がる、ラーメンになった。同50分ごろ、ルノアール御茶ノ水店のなかにある会議室に入る。結局、集合時刻までに来たのは合計3名(自分を含む)で、1時直後に入店した方2名(?)、1時7分ごろまで店の前にうろついていた方1名、遅刻2名の合計8名。いろいろ共通項が見つかって面白い会議になりました。
 3時までしか予約が取れていなかったので、大御所1名とほか1名が離脱した合計6人の状態で、御茶ノ水駅の反対側の口にあるお茶の水サンクレールの地下にある銀座コージーコーナーへ。4時半ごろまでねばる。
 そのあと、青野さん+2名と一緒に秋葉原に徒歩で移動し、そこからは青野さんとの行動になった。秋葉館Mac館の4階でHDDを見ていたが、カード会社の鯖が落ちてたときだったので、一人で3階を見ているとオグマさんから携帯に電話があり、合流した。その足で4階まで来てもらい、青野さんと引き合わせる。そのあと、石丸電気でDVDを見てから、肉の万世で9時前ごろまでパスタを食べる。話題に青野さんがついていけたかは定かではないが、いつもどおり漢字コードに始まり、歴史・軍事といったところなどがネタとなった。その晩は、よくあることだが、オグマさん宅にお邪魔した。ちなみに、宿代は先ほどのパスタで、前回もやはり食事を宿代がわりにしていた。
 翌日の朝7時、出発。約40分後、池袋サンシャインに到着。コミックレヴォリューション30のために来たのだ。カタログをまず購入し、男性向け創作(この言い方もストレートじゃないと常々思うのだが)やガンパレードマーチが配置されているみどりの間(文化会館2階)の行列に並んだのが8時15分ごろだっただろうか。行列の最後尾が見つからなかったので、迷ったのである。そのあと、眞さんと合流してしばし会話。10時半の入場後は、いつものところ(注:サークル名)と渡辺製作所の合体スペースに行き、めがねさんご依頼の新刊1セットを調達。次に、りゅうき夕海さん、谷村まりかさん、あじずあべばさんのところの新刊などを購入し、つぎにあかの間(インポートマートA2・3ホール)へ。スタジオRGで新刊がないことを確認後、漆黒のJPSへ移動し、いかせんべさんにご挨拶する。ついでに、伝言を頼まれて、みどりの間へ。そのあと、インポートマートと文化会館の渡り廊下でめがねさん&眞さんと合流し、渡すものを渡す。これがだいたい12時ごろだっただろうか。そのあと、きんちゃんさんから携帯に連絡があり、約30分後に合流することに。(つづく。)

(Oct. 30, 2001 追加)
 待ち合わせ場所は、「インポートマートのマクドナルドで」ということにしたのだが、説明不足だった。池袋駅側から、ハンズ横のエスカレーターで地下に降りて、サンシャインに向かう途中にある、かつ、ドトールコーヒーの左隣にあるマクドナルドのつもりだった。実は、改装中ではあったもののもう一つあったらしい。しかし、合流したものの込み合っていたので、ほぼこのマクドナルドと向かい合っているロッテリアに入る。打ち合わせの内容は、きまオレ界における要注意人物に関する情報の交換と、M&M総集編の発行を延期させるかどうか(これは夏コミでの発行に決したので延期)、関係者が多忙になってきたMANAMIを存続させるかどうか(これは存続に決したが、(1)実質的な活動を夏の1回に減じて集中し、(2)冬は間をつなぐような「冬眠号」といえるようなものを発行することになった。特に、来年1年については致し方ない事情がある)、の各点についてだった。
 MANAMIの存続問題については、要は[今年を越したら、きまオレについては新たなネタがない・ネタがでる余地がない]という共通の認識があってのことであった。画集も二つ出て、本家は病欠数百日、本家ではないが大家はオリジナルの世界に邁進している状況にあるため、これは何も進展する余地があるようなものはない…… ということは傍目にも明らかである。私が存続を主張したのには二つの理由がある。一つは、この世界で自分が書き残していることは多く、それを書ける場所はM&Mであること。もう一つは、斯界の保険として使わせて欲しいということ、である。書き残したことの中には、例えば、きまオレがどのように世界の各地で受容されていき、その亜流(ヨーロッパでの改造版)を含めてどのようなメディア事情の下に流通し、また地域によってはどのように終焉を迎えたか、ということがある。これは、世界中に流通したコミック原作のアニメの一つの事例として、まとめるに値するものだと確信している。もちろん、この目的であれば必ずしも「きまオレ」である必要はないかもしれないが、でも自分は「きまオレ」について書きたいのである。
 小一時間ほどダベって、打ち合わせ完了。

 そのあと、秋葉に移動してロッカーに荷物を入れてから、JR水道橋駅経由の三田線で神保町へ。まず、オグマさんと銀河さんが遭遇することがよくあるという、ある意味でなんとかスポットな、コミック高岡へ。そのころから、小雨がひどくなりつつあった。

(Nov. 5, 2001 追加)
そのあと、三省堂本店で古書を4冊ほど購入して、御茶ノ水駅方向へ。途中で、マツモトキヨシとマクドナルドが並んでいたので、前者でリ・・・(絶句)を購入し、後者でコミック高岡で買ったばかりの小川一水の新刊を半分まで読む。つまみは、ボリュームなんて単語は養鶏場で忘れてきたようなプチパンケーキとコーヒー、合計250円あまり。しばらくして飽きたので、秋葉原に移動。やはり雨が続いていたので、しばらく回った後に、9時すぎまで秋葉駅北方面にあるマクドでまた時間をつぶした。そのあと、東京駅に移動して、さらにまた読書で時間をつぶし、高速バスに無事乗車して既刊した。
Oct. 24, 2001
 朝、出勤前に同業者の泉さんに「相互協力絡みのお願い」と題したメールを出す。中身は録画の依頼(笑) 11時に、自宅から自転車で10分の距離にある元の勤務地へ。1時に出立、マクドナルドで昼食後、1時半すぎに電車に乗り、八尾で乗り換え。待ち時間10分ぐらいの間に、1階にある金券ショップを覗き、そのついでに、職場のおやつに釜焼きシュークリーム(単価150円+税)を6個購入。この日は一人欠勤だったので、結果として自分で二つ食べることになった。2時半に2度目の出勤。会議の報告を行う。3時半ごろ、見学者をご案内。4時半過ぎ、東芝がPCの設定作業に来る。7時、退勤時刻少し過ぎに携帯が鳴った。土曜の会議に出席する予定だった一人より急遽欠席したいとの連絡だった。11時少し前、泉さんより返事のメールが着く。職場で読んだこともあり、タイトルに騙されたと泣いておられた。よし、と思った。その勢いで電話をかけてしばし語らう。

 日曜日はレヴォ(今回は、池袋サンシャインシティ文化会館2F・4F・ワールドインポートマート4F、10:30〜16:00)に行くので、行き先リストを作成開始。この季節、あんまり並びたくない。特に買うと決めている本があってのことでもない。
 買いに行こうと思っているのは、ペンネーム順で X38b「AZ-3」、X11a「ナイフエッジ」(さきうらら)、T24a「MILLION☆DROPS」、U26b「ひよこ・N・スペシャル」、Q30b「TWIN TAIL LABORATORY」、U28a「どてちん天国」、R43a「ユナイテッド双児舎」。

 だが、別にこのイベントのために東京に行くわけではない。あくまでも、ついで。だけど、その「ついで」のついでに打ち合わせの予定を入れる自分って何て悪い奴だろう(笑) いずれにせよ、「早朝から並べ」と言わんばかりに血が騒ぐことになるような予感がする。
 昼もほどほど過ぎて、逢う人に逢ったら、秋葉原に行って遊んで、バスに乗るまでの時間をまた何かに費やすのも良いかな……と思案中。
Oct. 22, 2001
 一昨日と昨日のお仕事は、それぞれ半日ずつイカ焼きを焼くことでした。別に、いかせんべさん宅に焼き討ちをかけたわけではありません。(注:いかせんべさんのサークルは、その名も「イカ焼き」である。)

 図書館屋が「イカ焼き」を焼く…… まあいっか。
 図書館屋が「イカ焼き」を焼き討ちする…… だいぶ違う。
 図書館屋が「イカ」に「根性焼き」を焼く…… なんか残酷っぽくて、でも焼いて食べてるから、しかし釈然としない。
 図書館屋が「イカ焼き」にソースを塗る…… そういや「泥ソース」ってのがあったなぁ。
 図書館屋が「イカ焼き」で巫女…… 

 もういいや、うん(笑)

 今日は日曜日の分の代休を取って、お休み。(土曜日は本来の出勤日だったので、代休は発生しなかった。)
 8時半、まず45リットルゴミ袋×2の可燃ゴミを出す。
 9時、松屋でハムエッグ朝食を食べ、振り込まれた給料を下し、ディスカウントストアのジャパンで食料品と整髪料を調達。
 10時から1時ごろまで、土曜日のための資料を作成。
 4時ごろ、日本橋の100円ショップで名札6人分などなど調達。これも土曜日用。ソフマップ・ザウルス1&2経由で、コミック専門店・わんだーらんどへ行き、エンターブレインが発行するイラスト系の雑誌「PALETTE」Vol.1を購入。特典のクリアファイルに負けたわけでは断じて……  次に金券ショップを見てまわり、NGKと略される某施設(嫌いなので書きたくない)の近くにあるVie de france なんばダ・オーレ店に立ち寄る。この店は、H藤を連行しようとして何度も失敗している店だが、一人なのではいることにした。パイシュー、エンジェルソフト・アップ、メロンロールを食べたが、パイシューはつまらなかった。シュークリームではなく、あえてパイ気味のシューにした意味がないうえに、食べにくかった。
 6時半ごろ、ビックカメラへ。リサイクルされているくせに名前の変わらない、いわゆる使い捨てカメラ1個、150分カセット2本を調達。これも土曜日のため。帰りに、生意気な猫の代表格・トロのCD-R用シールを発見。買いそうになって思いとどまる。
 7時半ごろ、OCATの5階にある丸善へ。頼んであった「じゃらん」10月1日号2冊のほか、入江敦彦「英国式人生のススメ」(洋泉社発行、新書y ; 041)と小栗かよ子, 堀田明美「エレガントマナー講座 : 国際線スチュワーデスが教える」(PHP文庫 ; 514。なんでも、1994年に別表題で発行されたものを加筆・再編集・改題したものらしいが、それって、同じパーツが残っていても別の本に近いのでは?)を購入。はっきりいって、スッチーは完璧なほどに属性外である。むしろ、マナーの部分に興味があったために購入しただけのこと。その後は、まっすぐ帰宅。

Oct. 19, 2001
短期的不在予報

 10月27〜28日 : 東京での会議出席のため、不在 【確定】
 11月3〜4日 : 実家でのADSL設定等のため帰省 【確定】
 11月10日   : 6日の当落判明によっては死んでいる
 11月11日   : 大阪市内か京都での会議    【確定にしたいが、さて?】
 11月18日   : 予定なし
 11月23〜25日 : 実家の家庭内LANについて、作業の必要があれば帰省。 【確定せず】
 12月1日〜2日 : たぶん予定なし
 12月9日    : たぶん予定なし
 12月15日〜16日: たぶん予定なし
 12月22日〜23日: ……冬コミの当選結果により体力が尽きていることもありうる。
 12月29日〜30日: 必要であれば前日に新幹線を使ってでも、29日朝より有明に参戦 【確定】


Oct. 14, 2001
 今日は8時半前に長瀬を発ち、JR京都駅を経由して、10時ごろに京都の地下鉄・今出川駅で降りて、宜秋門より京都御所へ入る。秋の一般公開で、以前から生で見たかった蹴鞠の実演が10時と11時の2回あるのを目指してきた次第。御所に入る際に、やや丁寧に荷物を改められる。たいした行列にはなっていなかった。10時15分ごろに蹴鞠が行われている、春興殿の前、建礼門・建春門間の直線上にある鞠場(鞠庭とも)へ着く。各回45分のようで、初回の最後30分と2回目の最初10分を見た。順序は前後したものの、入場から退場までをすべて見ることができ、作法やルールの解説もあったので勉強になった。(ルールは、例えば、右足を伸ばして蹴らねばならないことや、鞠を場内に戻すときを除けば連続して蹴っていいのは3回までであること、足の裏を見せてはならないこと、勝敗はないことなど。)
 その後、紫宸殿、清涼殿、小御所を観て廻る。特に清涼殿は、絶対に叶わぬことではあるが、ひと夏住んでみたくなるような建物だった。御常御殿、御三間を経て、12時半すぎに清所門より出る。
 京都駅に戻り、高速バスや市バスの案内カウンターに付設されている立食のベーカリーでクリームホーン(生クリームがメインの、角(つの)型のパン)と、頂にココナッツクリームを載せてシナモンを利かせたパン(形状の説明が難しいが、こぶし大で、構造としては巻いてあった)を食べる。そのあと、2階の改札に入り、嵯峨うどんの大盛りを食べる。これだけ食べれば満足もする。
 1時32分の新快速に乗り、大阪駅で地下鉄に乗り換え、地下鉄なんば駅経由千日前線で日本橋駅にて下車。献血手帳を前回忘れていったので、それの記述をもともとの手帳に組み入れてもらい、ついでに成分献血をする。記載上は今回で56「回」目だが、以前は「回数」というよりも(400mlは2回、成分は3回と数える)ただの「ポイント」だったので、これまでの正確な回数は不明。1時間の待ち時間で3〜12巻までを読み、ベッドの上で13〜15巻を読む。沖縄の宝探しのときに使った船が「よど号」だということに気づく。北朝鮮からの帰国娘・帰国妻(?とでも言えばいいのか。ハイジャック事件実行犯の家族)に関する話題が最近ちらほら出てきていることを思い出す。(旅券返納命令に従わなかったことについての、旅券法違反に関する起訴についてなど。) もちろん、それを元にした悪いネタを展開させることのほうに頭を使った時間のほうが、そのことを考えた時間よりも長いのだが。

 7月に、実家の二つ目の電話番号(昨年なくなった祖母の使用していた番号)でYahoo!BBの申込をしたのだが、やっと今月11日にネットワーク接続工事が、13日にこの電話番号にかかる局内工事が完了し、今日の午後にADSLモデムが届いたらしい。父親が箱を開けたものの、体力尽きて、その先をすることなく寝てしまったらしい。本当に頑張っているらしい。
 Yahoo!BBの手配するスタッフが接続をやりに来るのが先になるか、自分が一時帰省するのが先になるか、どうなることやら。
 思い出したので書いておくと、8日にコミケ準備会より受付通知はがきが到着。今回はMANAMI、Blue Windとも書類不備を逃れたことを知り、安堵する。ただ、高橋まどかさんが消印有効の締切日の翌日に投函したとのことで…… 地理的には投函の翌日に宛先の私書箱に着いていそうなもんですが、本当にダメなもんでしょうか? 日記は6日で途絶えてるので、結果については不明。
今後1ヶ月の週末不在・多忙予報。

 10月20〜21日 : 勤め先での行事のため、土日ではあるものの出勤。【確定】
 10月27〜28日 : 東京での会議出席のため、不在 【確定】
 11月3〜4日 : 実家でのADSL設定などのため帰省? 【未確定】
 11月11日   : 外出ではないものの、『M&M』総集編本に関連する作業で燃え尽きているかも。 【未確定】
 11月11or18日?: 大阪または京都で会議のため、終日不在かも。【未確定】
 11月23〜25日 : 実家の家庭内LANについて、作業の必要があれば帰省。今年度中に自作PCを一台持ち帰って、Bluetooth ver.1で安上がりに(階下にある)メインのPCとつなげることを企んでいるものの、実現可能性は不明。帰省しなければ、ゆっくりと部屋で過ごしたい。

Oct. 11, 2001
 昨日の昼、再来週の会議で使う部屋を予約。1時間1100円は、カラオケの室料を考えれば安い…… が、御茶ノ水だけに人気があるのだろう。3時間とることを考えていたものの、2時間で手を打つ。まあ、なんとか目的は達せられると思うし、近くのファストフードで2次会、続きも周辺でやれそうだからいいとしよう(笑) 真面目な話だけで3時間以上ひっぱるのも辛いし。

 ひっさびさのプレゼンテーションだから、がんばらなければ。 < といっているが、すでに原稿は8割ぐらいできている(というか、夏に書いた原稿の使い回し)ようなものなので、あとは表紙と(メンバー用に項目を絞った)名簿、それに名札orネームプレート(ただし1個100円で)ぐらいかな。

Oct. 9, 2001
 昨日は、H藤と日本橋で遊ぶ。この日の未明、米英がアフガン空爆を始めた。
 ソフマップのディスプレイコーナーで、たまたま映画『となりのトト○』が流されていた。

 メイが小型トトロを見つけるシーンを観たところから、悪ふざけも甚だしい、止め処もない妄想は始まった。

 メイは実はアメリカの手先で、ネズミ色小型トトロ(以下、ネズトトロ)がビンラデ○ン、さらに小さい白色小型トトロ(以下、シロトトロ)がオ○ル、ネズトトロが担いでいる袋の中身はアブない化学兵器・生物兵器で、シロトトロが逃げ込む穴は大きな丸すなわちオ○ルであることの暗示、ということにした。
 次に、メイがシロ・ネズミトトロを追い回して、トンネルを抜け、樹を上るシーンはアフガン山岳地帯への攻撃を暗示し、大トトロはアフガンの厳しい自然の化身である。ゆえに、メイが大トトロに初戦敗退したのは当然の成り行きであった‥‥ というストーリーにして、「リアルタイム戦争アニメ」へと読み替えて楽しんだ、という次第。
(でも、それでいくと、メイが大トトロと仲良くなってしまうので、この方向では話の先が続かないのだが。)
 このような妄想に至ったのは、多分に、前の日の晩に飲んだことが原因のような気がする。
 だいたい、酔った次の日の思考はどこか変わってる気がするし。


 余談: ハンディカムの展示コーナーで、バッテリー切れの警告マーク(乾電池に斜線)を「ミサイル爆撃はダメよ」マークと思ってしまったのは、また別のお話。

 佐藤ケイ「男色一代男」(天国に涙はいらない ; 4)を購入し、つい、このサイトのどこかにあるページに変な替え歌を載せてしまった。佐藤氏と国府田マリ○氏にあらかじめお詫び申し上げておこう(笑)
Oct. 8, 2001
 昨晩はいかせんべさんが幹事で、藤岡タマヱさん・悠宇樹さんの「本州離脱さよならオフ」、題して「リメンバーヤマト」オフがあったので参加。場所は、名古屋駅近くの監獄IN食 ビストロ教会[紹介ページはこちら])の2階=「HEAVEN FLOOR」の1〜2階ぶち抜き部分近く。この店は、あの巫女さん飲み屋として知られる「飲食夜神 月天」の系列店である。当然、この店では修道女姿のウェイトレスになるわけですが、ちょっとコスチュームが中途半端だったのが残念。メイドか修道女かどちらかに傾けたほうがいいのでは、と思う。
 3階の「PRIZON FLOOR」にも、いつか行ってみたいものだ。

 「リメンバーヤマト」オフの前の話を。
 10時50分ごろ長瀬を発ち、5分以内に布施へ到着。Exchngerさんからの依頼により、蓬莱で豚まん6個、叉焼(チャーシュー)まん4個を調達。難波行き快速急行で上本町まで行き、今度は大阪線の急行に乗車した。それが11時15分のことで、中川でさらに急行に乗り継いで、名古屋に到着したのが2時32分。3時間17分かかった。
 到着後、アール・ビバンとかいう会社の高田明美版画「商談会」らしい会場へ見に行った。本当に商談会らしく、会場に一歩入ったが最後、会場を後にするまでずっと係員に張り付かれてトークを食らう。たまらなく、邪魔。しかも、すぐに長期ローン60回を組ませようとしてくるのが気に入らない。「1日あたり○百円だから‥‥」という言い方は昔からある手だけに、うんざりさせられた。
 待ち合わせをしているExchangerさんから携帯にメールが来て、また、ちょうど4時前になったので、「予定があるから」と逃げた。

Oct. 5, 2001
 何気なくぶらぶらネットサーフィンをしていたら、「アトリエひらおかゆうこ」というサイトを発見。プロフィールを見て、偶然の一致を発見。だからどうってわけじゃない、けど。

 本日は、神戸の甲南大学まで出張。用向きは、私立大学図書館協会の西地区(西は沖縄、東は北陸・東海地方までで、長野は含まず)の研究会。
 最初に、国際日本文化センター(日文研)助教授の井上章一先生の講演『私の図書館利用法』があり、笑わせていただいた。ほとんど先生の著書として世に出ている内容だとは思うが、順に列挙すると:
 (1)「美人論」(大正期の女学校の修身教科書、卒業面(ソツギョウヅラ))の話、 (2)国会図書館の特別閲覧室と内務省発禁本と記入見本で名前を使われている件について、 (3)日文研におけるアイドル写真集の収集を、宮沢りえのヘア写真集が発行された後の写真集乱発で断念するまでの経緯、 (4)「二宮金次郎」像について、 (5)桂離宮が有名になったきっかけ、 (6)国会図書館への悪口を少々、 (7)法隆寺の柱、 (8)大日如来の「大日」と、景教(キリスト教)の「景」と、空海、 (9)原稿は手書きして、OPACの検索などのコンピュータ作業はしないという主義について、 (10)『愛の空間』の執筆と、書誌学者の谷沢(?失念)氏から「図書館に頼っている人に学問はできない」「古本屋に膏血を搾り取られて、初めて学問ができる」と言われた経験、 (11)現在行っている研究 = (下着のほうの)パンツを日本人が「見えると恥ずかしいもの」として意識するようになったことの経緯について
 最後に、興味本位の研究をいけないものとして否定する風潮は、学問の否定ではないのか‥‥と問いかけつつ、(一語一句書き留めたわけではないので大凡の意味として読んでいただきたいのだが)「(特に卑史的な研究について、)図書館を利用してちゃんとした研究ができるようにして欲しい」と締め、講演は終わった。

 午後は1時半から4時半すぎまでに発表が3件あったものの、特に、最後の1件「中国語・ハングル資料の書誌データ構築と検索サービス」は(閲覧係の身ではあるものの)非常に興味深いものだった。

 ところで、偶然にも参加者の中に、図情大の遊戯研究会(注: 中尾君も所属していた)で一緒だった、学部同期の辻 水衣(すい)君がいた。会うのは実に2年ぶりぐらいである。元気そうで何よりだった。いまは広島の某私大図書館(当然だが)に勤めている。
 彼に、同大学図書館の階段の上からぽつりと「さびしくなったな」と言われたのが印象的だった。「階段の上から眺めて言った」というとこがポイントだ・・・・  そういうことだ(苦笑)

(追加: Oct. 8, 2001)
 甲南大学の図書館と、研究会のあった新5号館までの間にある1号館の前に、同大学の創立者・平生釟三郎が1938年の水害のあとに碑とした言葉を、1997年の大震災のあとに改めて碑としたものが立っていた。『常ニ備ヘヨ』と。

 阪神大震災関係のモニュメントとして知られてるようだし、特別な言葉ではない。でも、このような言葉が明記されている場所・碑・看板を。大阪に着てから一度も見たことがなかった。


Oct. 1, 2001
 9月27日。夏季休業期間最後の日。終業後に職場で、心斎橋にある「ソウルトゥソウル (Seoul to Soul)」東心斎橋店まで韓国料理を食べに行く。6時45分、現地到着。誰の陰謀か、単なる間違いか、最初から余計に注文された1杯を含む、ビール2杯(ジョッキ)を消費。思いっきり酔う。そして、鍋には血の池地獄ジュースがなみなみと注がれ、赤色だらけ。せめての救いは、最後に出てきたパウンドケーキ・白い悪魔つき。
 30日午後、雨の中を日本橋まで買い物に。256Mのメモリ一枚、ちょびっツ3巻初回限定版1冊を購入後、5分間だけ御堂筋パレードを観る。4時40分から千日前で「カウボーイ・ビバップ : 天国の扉」を観る。サントラだけ買って、本編を見なけりゃよかったかと思った。エドがつまらなかった。フェイは案外あんなもんか・・・ アインは小動物(中動物か?)らしくあれでよし。でも、映画としては物足りない。6時50分ごろ、次にマクドナルドでバリューセット(フィッシュカツ)を食べた後、ドーナッツの100円均一中のミスドでコーヒーを含めて800円弱ほど消費。しばらくは食べなくても我慢できそう。

 1日、職場のPCにIE5.5 SP2ないしはIE6をインストールして、ウイルスチェックをかけろとの指示が本館より届いた(正確には、前日にメールで届いていたので出勤前に読んでいた)ので、実行。
 利用者用端末(Win2000)にIE6、業務用端末(WinNT)にIE5.5 SP2をインストールする。本当は後者もIE6にしたかったが、なぜかうまくいかなかったので諦める。本格的に調子が悪くなっても入ってるソフトを自分ですぐに再インストールできる状態ではないし、自分のPCではないので無茶をしたくはなかったので逃げることにした‥‥ ビルゲ@MSが悪いだけだ。

今月の短期不在予報

非常に慌しい月になる見込み。
5日 : 兵庫へ出張(日帰り)。
7日(〜8日?): 名古屋・豊橋方面?
13〜14日 : ADSLの導入のために帰省してるかも <= Yahoo!BBのスケジュール次第
27〜28日 : 東京での会議出席のため、不在。
11月上旬? : 会議のため、日帰りで京都近辺。

© or (C) Taisuke ITONO, 2001