第二章「過ぎ行く風の欠片」



一緒にいるのが当たり前だった

振り向けば、すぐそこにいる

暖かい陽だまりの中、風に吹かれ、水の匂いを感じていた

差し込む光が眩しくなってきたら、

木陰で背中を寄せ合ってまどろんだ

時が止まったかのように、流れる雲をいつまでも眺めていた

だから、こうしてまた会うことができて、私はとても嬉しいの

でも、あなたはどう思っているの?



――私も、今の暮らしが大好きだよ。これからも、ずっと同じ想い

を持っていようね・・・





 今日は、お兄ちゃんと優季さんの高校の文化祭。他のところがそ

うであるように、ここも別に大した事はやっていない。一部のお祭

り好き以外の人にとっては授業が休みになるだけの日。せっかくの

日曜日に来るのは少しもったいないけれど、ボクも割と暇だったか

らね。

 模擬店と称する闇コンパの資金稼ぎ(お兄ちゃん談)が横行する

中、ボクは一直線に理科棟へと足を踏み入れた。だって、化学実験

室に優季さんがいるって聞いてたから。3階の白い扉をそっと開い

てみると・・・



「何で、こんな所にお兄ちゃんがいるわけ・・・」

 ここで、思わずため息一つ。

「歩ちゃん、こんな所へようこそ☆」

 優季さんが微笑んでくれるけど、ボクは、もう恥ずかしさで一杯

だった。

「あの・・・その・・・・・・ごめんなさいっ!」

 ボク、なんて事を言ってしまったんだろう!優季さんが頑張って

いる場所を「こんな所」だなんて・・・

「みんなお昼に行って人手が少なくなったから、ちょっとだけ優佳

に手伝ってもらってたの」

「ま、そういう事だ。面白そうな奴があったら声かけろよ。紹介し

てやるから」

 見渡すと、「容器は気にしないでね☆人工イクラの製造法」、「

一触即発!電子レンジ反応」などという怪しげな展示と離れて、す

みっこの方に何も書かれていない実験台があった。中学校では滅多

に見ない油浴に、密封した容器を浸けている。

「優季さん、あれって何をしてるんですか?」

「うん、あれはね・・・歩ちゃん、行く前にそこの眼鏡を掛けてく

れる?度は入っていないから、歩ちゃんでも大丈夫だよ」

 ふと横を見ると、優季さんも眼鏡を掛けていた。

「これ、石英硝子で出来てる高級品なの。お小遣いで買っちゃった

☆」

 こんな優季さんって、滅多に見られないかも☆ 何か得した気分

になる。

「これは私が勝手にやってる実験で、展示ではないの。ちょっとし

た触媒反応で、この反応系に使っている金属には、かって神々との

戦いに敗れ、地底の冥界に閉じ込められた巨人の名が与えられてい

るのよ」

「そんな元素があるんですか?」

「他にも、大地の女神や天空の神、それに月の名を授かった元素な

んかがあるわ。こういう世界にも、意外にファンタスティックな人

が多いみたいね」

 ちょっと手を伸ばして容器に触ってみる。

「あっ!駄目だよっ!」

 もう手遅れ。この容器はものすごく熱かったんだ。

「120度で反応させてたの。向こうに薬があるから、取ってくる

まで水道で冷やしててね。優佳も、これには気を付けてね。爆発性

があるから、衝撃には要注意だよ。爆発したら、一緒に入っている

有機溶媒にも引火しちゃうからね」

「お前・・・昨日、そんなものを俺に準備させてたのか・・・」

「加熱するまでは大丈夫なの。それに、多分優佳が思っている程は

敏感じゃないよ」

「何だ、脅かすなよ・・・」

 でも、優季さんの言った事は本当だったんだ。お兄ちゃんが調子

に乗って指示棒でつついた瞬間、「パン!」って音を立てて容器が

砕け、ガラスの破片と爆音に加えて、120度の溶液と油が周囲に

弾け散った。幸い、ボクは部屋の端っこで手を冷やしていたし、お

兄ちゃんも、とっさに伏せて実験台が楯になったおかげで、運良く

額に小さな切り傷を作ったくらいで済んだんだ。でも、一歩間違え

たら重傷を負いかねない程の事故だった。

 気の毒なのは優季さん。勝手に在庫の薬品を使って危険な実験を

やり、その上、人身事故まで起こしたことになってしまったんだ。

先生から散々叱られ、後片付けも一人でやらされる羽目になった。

悪いのはお兄ちゃんなのにね。

 文化祭が終わってしまっても、優季さんの後片付けは続いている。

ボクとお兄ちゃんは、ずっと廊下で優季さんを待っていたけれど、

もうすぐ鍵が掛かってしまうので、仕方なく玄関まで移動した。

「お兄ちゃんったら、一体何やってるのよ! しかも、自分だけ許

してもらってるなんて!」

「俺も一応怪我はしたんだが・・・」

「こんなの、怪我の内に入らないよ」

 背伸びしてお兄ちゃんの額を弾く。もちろん思いっ切り。

「ぐぅっっ・・・・・・今のは、本気で効いたぞ」

 涙を浮かべて抗議したって、今日は聞いてあげない。

「ふんっ。でも・・・」

 それでも、確かにボクは思ったんだ。

「これくらいで済んで、よかったよ・・・・・・本当に」

「なっ・・・!?」

 不意打ちで前髪を掻き上げる。小さなガーゼの下で、お兄ちゃん

の瞳は静かに夕日を映していた。オレンジ色の陽光が、柔らかく、

優しくボクを包み込んでいた。

「お兄ちゃんには、やっぱりその優しい瞳が一番似合ってるよ☆ 

別に、隠さなくたっていいじゃない」

「これは俺のトレードマークだ。お前には分からないさ」

 憮然と言って、そっぽを向く。せっかくボクが誉めてあげたのに、

かわいくないなぁ・・・

 そして、優季さんが慌しく走ってきた。

「お待たせ〜」

「優季さん、今日は災難でしたね・・・」

「優佳、もっと自然に耳を傾けてごらん。そうすれば、今ここで何

が起こっているか、何となくだけど分かるんだよ」

「お兄ちゃん!優季さんにあやまってよ!」

「優季・・・・・・悪かった。今日は、何だっておごるよ」

「まったく・・・でも、優季さん、よくあんなものを平気で扱えま

すね」

「昔、いろいろあったからね。これも経験の差ってとこかな☆」

「そうだ!今日はお兄ちゃんのおごりだから、みんなを誘ってフロ

ーネルに行こうよ」

「歩まで誘った覚えは無いぞ」

「いじわるぅ・・・」

「歩ちゃんと一緒じゃなきゃ、行かないよ☆」

「優季さん・・・☆」

「頼む、許してくれ・・・(泣)」

「ふふっ、だ〜め☆」

 そして、ボクらは3人でもつれあいながら、あの場所へと歩いて

いった。





---

運命なんて、信じちゃいない

そんなものの指図なんか、あったとしても受ける気は無い

これまでも、私は私が進みたいと思った道だけを歩いてきた

目の前に道が無い時は、道を作りながら突き進んだ

本気でそう考えてた

多分、これからも私はずっとこうして生きていくのだろう

でも、時々不思議な気分になる

あの子達は、初めて会ったはずなのに他人じゃないような気がした

こんな事、自分でも変だと思ってる

でも、私がそう思うのだから、きっと何かがあるのだろう

ふと考えてしまう

ひょっとしたら、私は此処にいる為に、

これまで生きてきたのかもしれない

渡り鳥が自ずと空を飛び続け、自分のいるべき場所を目指すように





「るかちゃん、今日もご機嫌だね。お花も、イキがよくなってるみ

たい☆」

「紗織ちゃんもね☆」

 リーフレットでは、沙夜さんと紗織だけじゃなくって、綿月さん

も温室で膝を突いて花達の世話をしていた。誤解しないように言っ

ておくけど、綿月さんはリーフレットの店員じゃない。頻繁に訪れ

るお得意様の一人なんだ。

 特に雨の日なんかは、頼まれてもいないのに草花の世話をしたり、

持ち込みの香茶を淹れてくつろいだりするから、放っておいたら、

いつまで経っても帰ろうとはしない。多分、本当にお花が好きなん

だ。

 ちなみに、綿月さんと紗織は、お互いを「るかちゃん」「紗織ち

ゃん」って呼び合っているけれど、実は2人ともその呼び名を認め

てはいない。

 綿月さんは、自分を「流香(はるか)ちゃん」って呼んで欲しい。

紗織は、自分の事を「紗織お姉さん」って呼んで欲しい。でも、相

手の言い分は無視して、それぞれ自分の好きな呼び方を使っている

んだ。変な関係だよね。



「こんにちは!突然ですけど、みんなでフローネルに行きませんか?

今日はお兄ちゃんのおごりです☆」

「ちょうど良かった☆流香も、一緒に行こうよ」

「くすっ☆ 今日は、優季ちゃんが来るような気がしていたの☆」

「そうね・・・お客さんも少ないから、店じまいにしようかな?」

「俺、金下ろしてくるよ・・・」

「けーき、だねっ☆お姉さんの分をしっかりと下ろしてきてね☆」

「・・・・・・」

「あれ?お返事はどうしたのかな〜?」

「お願いですから、それは・・・・・・!!!・・・はい、紗織お

姉さん・・・」

「優佳って、お姉さん恐怖症なのかな?」

 逃げるように出ていってしまった。お兄ちゃんには、ちょっと気

の毒な事しちゃったかな・・・



「歩ちゃん、ちょっと来てくれないかしら?」

 それまで熱心にお花を見ていた綿月さんが手招きする。

「この子、気分が悪そうだったから、気になって見てみたの。そう

したら・・・」

「あっ!? これって・・・!」

 その花には、いくつかの葉の裏に白い斑点がついていたんだ。

「気付くのが遅れやすい病気なの。他のお花にも移っているかもし

れないから、ここ数日は特に気をつけてね」

「・・・・・・。綿月さん、ありがとうございます」

「お礼を言うような事じゃないよ。お礼がしたいのなら、これから

は『流香ちゃん』って呼んでね☆」

「それは遠慮します。代わりに、このお花を差し上げます」

「ありがとう、歩ちゃん☆この子、大切に育てるわ」

 病気の花を鉢へと移す綿月さんの横顔は、とても優しくって・・

少しだけ、悲しそうだった。

 ボクは、あんな風に花を愛したことが一度でもあっただろうか。

いつも無愛想にしちゃってるけれど、綿月さんの気持ちを考えたこ

とがあっただろうか。

 罪悪感と自己嫌悪が胸に突き刺さった。胸が痛くて、苦しかった。



『かなわないなぁ・・・流香さんには』

 カウンターに寄りかかりながら、温室を見つめる。

「そんな事は無いわよ」

 沙夜さんが、ボクの頭にそっと手を置いてくれた。でも、どうし

てボクの思ってることが・・・

「びっくりした?歩はすぐ顔に出るもの。私でなくても分かるわよ」

「・・・・・・」

「ドジで泣き虫で、真っ直ぐなのが良いっていう人もいるようだけ

ど、私はそんなの願い下げ。女は自信に満ち溢れているくらいで丁

度いいのよ」

「でも・・・・・・」

 知ってしまったんだもの。ボクは、元気だけが取り柄の、何も出

来ない女の子なんだって・・・

「確かに、流香は凄いよ。ひょっとして、花の心を理解してるのか

もしれない。でも、歩だって同じくらい凄いよ」

「えっ・・・?」

「歩が来てから、うちの花は知らないうちに明るくなってる。私が

言うんだから、本当よ」

「そんなことって・・・」

「流香が花に優しさを与えているのなら、歩は花に元気を与えてる。

もっと、自信を持ちなさい」

「・・・はいっ☆」



「みんな〜、優佳がお金下ろしてきたよ。出発しよっ☆」

 あっ!もう行かなくっちゃ。ボクはもう、後ろ向きに走ったりし

ない。また前を見て思いっきり走っていくことにするよ☆





---

思わず声をかけなかったら、もう会うこともなかったかもね

あの時、あなたを見ていたら、とても放っておけなかった

自分の力で守ってあげたい

心が、初めて叫んだんだ

私もよく分からないけれど

こういうのも、大切な人っていうのかな

とにかく、私はあなたのことが大好きだよ☆





「綿月さん、自転車は置いていくんですか?」

「みんなが歩きだから、若菜ちゃんはお留守番。それに、後でお花

を取りに戻るからね」

「うくくくく・・・警備装置、起動!お姉さんのコレクションを狙

うような不届き者は、たとえ天が許しても、このダブルトラップが

許さないよ」

「ちょっと!紗織、何よそれ!そんなのがあったなんて、聞いてな

いよ!」

「そういえば、言ったことなかったね」

「そんな物騒なものが仕込んである部屋で、ボクは毎日着替えして

たっていうの!?」

「だいじょうぶ☆火は使っていないから」

『この2人、前世は天然漫才コンビだったんじゃないか?』

「優佳、他の女の子の事考えてるでしょ」

 こんな会話を交わしながら歩き出してしばらくすると、ふと後ろ

から声が掛かった。

「みんな待って。ここを曲がると近道なの」

 綿月さんが一見行き止まりに見える小路の横を指差している。

「フローネルにはよく通っているの」

「あのお店、流香の趣味に合っているからね」

「それだけじゃないの。ここには、大切なお友達がいるのよ」



 フローネルは小さいながらも、この辺では割と名の通った喫茶店。

 他と違うのは、天井に葡萄の蔦が這わせてあり、今頃には沢山の

房が下がっていること。ちなみに、壁にも季節に合った果物や野菜

の蔓が絡んでいる。だから、扉を開けると、いつも外とは違った香

りが漂ってくるんだ。

 中では、小柄な店員さんが注文を取っているところだった。その

子は、ボクたちを見てちょっと意外そうな顔をした。

「流香、何か忘れ物でもしたの?」

「ううん。みんなでケーキを食べに来たの。この、歩ちゃんが薦め

てくれたんだよ」

 予期していない展開に思わず緊張してしまう。

「初めまして・・・って言うのかなぁ・・・。あの、今まで名乗っ

てなかったですけど、わたし、歩です・・・」

 どうしよう!全然言葉が出てこないよぉ・・・

「紹介するね、私のお友達の樹内綾花(きうち あやか)ちゃん。

高校のクラスメートで、ここは綾花の家なんだよ」

「あ〜あ、るかちゃんのお友達だったんなら、もっと安くしてもら

っとけば良かったなぁ・・・」

「お客さん、いつも来て新作をチェックしてくれる人ですね。よか

ったら今度から試食に来ませんか?」

「うわぁ、いい人だよ・・・」

 綾花さんの言葉に感激して駆け寄っていく沙織。最高の笑顔で、

綾花さんの両手をしっかりと握って語りかける。

「今度、何か描いてあげるね☆静物画から綾花ちゃんまで、絵にな

るものなら何だってOKだよ」

「そんな・・・そう言われると、なんだか恥ずかしいな・・・」

 少しうつむいて照れている綾花さん。こうして改めて見てみると、

綾花さんって、綿月さんによく似ているんだ。綿月さんが活発な感

じであるのに対して、綾花さんは、静かで落ち着いてる。

「紗織ったら、すぐ物につられるんだから・・・」

「綾花、今日のお勧めは何?」

 いつもと変わっていない所を見ると、優季さんはもう綾花さんと

は知り合いらしい。綿月さんの親友だから、自然にそうなっていた

みたい。

「優季は運がいいわ。今日、ちょうど新作がメニューに出たところ

なの。『水辺の輝き』という名前で、ババロアを土台にして、バラ

の花を模られた桃が、ゼリーの中に浮かんでいるのよ」

「やっぱり1500円なの?」

「もちろん☆でも、流香のお友達だから、みんな、お飲み物はサー

ビスするよ」

 この店は、5種類・・・今日のを入れると、6種類の特製デザー

トを設けている。けど、実際にそれを頼むお客さんは殆どいないん

だ。

 何故なら、サイズが尋常じゃないから。1500円という値段も、

遊びで付けたものじゃない。白餡を盛った巨大な和風パルフェを始

めとして、中身をくり抜いたメロンに変り種の果物を詰め込んで、

丸ごと出してくるものなどがあり、人は畏敬の念を込めて、それら

全てに「白の荒野」「緑の天球」等といった称号を付けている。

 信じられないことに、優季さんはこの特製デザートを至福の表情

で攻略してしまうんだ。初めてこの光景を目の当たりにした時、ボ

クは夢の中で異空間に迷い込んだような気分だった。

 紗織は、今ひとつ満足していないように物思いにふけっている。

きっと、「活気が足りないな・・・」って考えているんだろうな。

 みんなは、きっと此処で「果たしてお茶会に活気が必要なのか」

って疑問が出てくるだろうけど、紗織にとって、それは大した問題

じゃない。

「う〜ん、新作も押さえておきたいけど・・・また次にするね。お

兄ちゃん、お姉さんと白銀の氷壁で早食い勝負しない?勝ったら勘

定はお姉さんが持ってあげる☆」

「その言葉、後悔しますよ・・・」

 俄然、目の色を変えるお兄ちゃん。これで1500円が上乗せさ

れた事にも全く気付いていない。ちなみに、この「白銀の氷壁」は

デラックスなかき氷。普通の人ならお腹を壊しかねないし、たとえ

食べ終われたとしても、その頃には寒さで手足の震えが止まらない

と言われている。

「私はその新商品とアールグレイね☆」

 優季さんは当然それを注文する。

「歩ちゃん、あれ、2人で半分こしない?」

 綿月さんと一つのケーキをつつく訳?確かに、ボクもこれは食べ

てみたいけれど・・・

「仕方ないなぁ・・・それでお願いします。それと、アイスコーヒ

ーもつけて」

「私、頭痛くなってきた・・・。ラベンダーティーとパウンドケー

キで一息つくわ」



 注文が済むと、綾花さんは奥に引っ込んでしまった。この店は、

他に人を雇ってはいない。人手も少ないから、作るのを手伝ってい

るんだ。

「不思議な子。何か、普通の人とは違う気を感じたわ・・・」

 綾花さんがいなくなると、沙夜さんは急に真剣な面持ちで周りを

見回しだした。紗織のからかいも、全然気にかけていない。

 綿月さんは、そんな沙夜さんを不安そうに見詰めている。これま

でに見せたこともない、何かを恐れているような表情で。

「あの、沙夜さん・・・」

「安心して。別に、余計なことをする気は無いから」

 おずおずと話しかける綿月さんに、沙夜さんの表情がすぐに緩ん

だ。ボクや他のみんなは、訳が分からないまま、ただ2人を見つめ

ている。

「そう言えば、流香と綾花って、何処で知り合ったの?私も、今ま

で聞いたことなかったよね」

 優季さんが話題を変えてきた。

「それ、ボクも聞きたいです☆」

 そうそう。こういうのでないと、ボクはとてもついて行けないよ。

「それは、涙なしには語れない、ふたりの出会いの物語なんだよ。

あれは雪降る夜、白い街の灯が消えていく中で起こったの・・・」

 全然関係無いナレーションを好き勝手に流し始める紗織を前に、

綿月さんは目を丸くして紗織を見て、その後みんなを見回してから

苦笑して言った。

「そういうものでも無いんだけど・・・お願いだから、そのことは、

お店に帰ってからにしてね」



 ほどなく、綾花さんが、ちょっと重たそうにトレイを抱えて例の

新商品を持ってきた。

「お待たせしました☆まずは新商品、『水辺の輝き』2つです」

「どれどれ・・・・・・きゃははははは!これじゃあ、バラじゃな

くて渦巻きだよ。称号は『鳴門の渦潮』に決定だね☆」

「やっぱり、ボクには紗織の感覚ってよく分からない。詩的なのか、

それとも単に演歌なのか・・・」

 紗織は得意になってるけど、ボクたち、その渦潮をこれから食べ

るんだよ・・・

「こんなのでいいなら、いくらでも作れるよ☆」

「演歌は心の音楽よ。定型詩みたいに、決まった旋律の中に感情を

刻み込み、それを鍛え抜いた肉体で詠い上げる所にこそ、その真髄

があるの」

 あの、沙夜さん?誰も、別に沙夜さんの演歌論は聞いて無いよう

な気がするんですけど・・・

「海外在住だったのに、どうしてそんなに詳しいんですか・・・」

 お兄ちゃんのもっともな疑問を前に沙夜さんは平然と答えた。

「余計な詮索はしないことね」

「実は、それは私が作ったの・・・」

 落ち込む綾花さんを前に、紗織が選んだ選択肢は、よりによって

最悪のものだった。

「ごめんごめん。お詫びに、『渦潮の歌』を歌ってあげるね。本来

はうずしお科学館でしか聞けない、なかなかレアな歌だけど、今日

は特別だよ☆」

 カウンターの前に移動する紗織の中ではすでに前奏が流れ始めて

いるに違いない。ここで止めなかったら、ボクのデザートは本当に

渦潮になってしまうんだ!!

「紗織ちゃん、それはちょっと・・・」

「紗織!これ以上ボクのデザートを渦潮に・・・」

「さぁ、これからみんなで、渦潮をよぼうよ☆」

「だから、ボクはそんなもの・・」

「『うずしおぐるぐるまわってるっ☆ぐるぐるうずしおぐるっぐる

っ・・・』」

 ボクと綿月さんの抗議を遮断するように、紗織の歌は始まってし

まった。こうなってしまうと、もう止められない。

 軽快かつ力強いメロディーで流れる「渦潮の歌」は、導入、展開

を経て見事にラストへと収束していったけど、結局、これって単な

る嫌がらせだったと思うよ・・・

 紗織の歌をBGMに、ボクと綿月さんは、大人しくその「鳴門の

渦潮」をつついていたけれど、その間に綿月さんと何度も目が合っ

てしまって、何だかとても照れくさかった。そんなボクの気持ちも

知らないで、綿月さんはとても楽しそうだった。

「とっても美味しいね、歩ちゃん☆」

「えっ?・・・はい。とっても美味しいです・・・」

「ふふ・・・こうしていると、歩ちゃんと私、恋人同士とかに見え

るのかな☆」

「んぐっ!?」

 生の食感を残した桃の実が、思わず喉に詰まる。

「冗談よ。はい、お水☆歩ちゃんって、本当にかわいいんだから☆」

「・・・少しでも綿月さんを見なおしてた、ボクが馬鹿でした」

「歩ちゃん、そう思ってくれてたんだ!」

 花が咲いたような綿月さんの笑顔に、ボクは迷わず即答した。

「もう昔のことですよ」

 綿月さん、紗織にかなり毒されてるね・・・



 優季さんも、幸せそうに鳴門・・・。うん、やっぱりこの名前、

変えた方がいいや。水辺の輝きを味わっている。いつも疑問に思う

けど、あんなに大きいのに一体何処に入っているのかな?

 半ばあきれ顔で見ている沙夜さんに、優季さんも気付いたみたい。

「美味しいから、手が止まらなくなっちゃうの☆これって、お砂糖

の魔法なのかな?」

 優季さんはこういう視線に慣れているのか、全然気にしていない

みたい。笑顔で、まるで当たり前の事のように解説する。

「あなたの身体の方が、よほど魔法的よ・・・」

 そう言い捨てて、沙夜さんもケーキをまた一口運ぶ。

「実は、そうかもね☆沙夜さんも、どうですか?」

 差し出されたフォークを前に、沙夜さんは気圧されたように少し

だけのけぞった。

「どうして、私が優季のケーキを取らなきゃ行けないのよ!欲しい

だなんて、一言もいってないんだからね!」

「あれ?・・・私の気のせいだったみたい」

 そして、また変わらぬ速度で優季さんの手が動き始めた。



「紗織、歌もいいけど、そろそろ食べ始めた方がいいよ。お兄ちゃ

んが既に3分の1を攻略してるから」

「『ああ・・・私、この海が好き・・・☆』あ!お兄ちゃん、勝手

に食べてる。反則だよっ!」

「油断大敵ですよ。今日のケーキ代6300円、何としても支払っ

てもらいます」

 綾花さんにサービスして貰ったのに、まだそんなにあったんだ。

「ここまで人の弱みにつけ込むとは・・なかなかに非情だね・・・」

「言っても無駄よ、紗織。お兄ちゃんは、所詮この程度の小物なん

だから」

「確かに手段は選ばない方だが、その言い方は酷すぎないか・・・」

 いいのよ。お兄ちゃんには、今日一日くらい不幸になってもらわ

ないとね。これもみんな、優季さんを困らせた天罰だよ。

「まだまだ、勝負は始まったばかりだよ。こういう非道な敵に正攻

法で打ち勝つのが主人公の素質!」

 別に、紗織を主人公にした覚えはないんだけれどね・・・

「ちなみに、こんな敵が出てくる確率は、一回戦と準決勝が高いん

だよ。作者がネタに困るとよく出てくるの」

 そう言い残すと、紗織は氷壁を星型に6等分し、手前の一つを瞬

時に消滅させた・・・



 結局、お兄ちゃんは紗織に勝てなかった。まあ、当然だね。紗織

は、夏にフローネルで行われた「白銀の氷壁早食い大会」で準優勝

しているんだよ。

「どうして、あんな業が使えるんですか・・・」

 青い顔をしているお兄ちゃんとは対照的に、紗織は、まだ余裕を

残していた。

「熱い心さえあれば、あれくらい、どうって事無いよ。お兄ちゃん

も、これに挫けずに精進してね。氷の心を鍛えれば、きっと強くな

っていくよ」

 紗織の言動って、どこまでが本気なのかな?ボクも、たまに分か

らなくなる。

「このかき氷は立て替えてあげるね。こうなるって分かって挑んだ

んだから、当然だよ」

「本当に、いいのですね」

 疑り深いお兄ちゃん。せっかく紗織がおごってくれるんだから、

素直に受け取ればいいのに。

「その代わり、終生この恩を忘れず、『これからは紗織お姉さんに

身も心も捧げます』と誓うんだよ☆」

 お兄ちゃんも、無駄に年は取ってなかったんだね・・・

「あっ!ずるいよ、紗織お姉さん」

「そういう事なら、私が紗織ちゃんの代わりに優佳さんの人生買っ

ちゃいます☆」

 どうしてなのか、この展開がボクには面白くない。

「お兄ちゃんって、意外に買い手が多かったんだ。この分だと、嫁

き遅れずに済みそうだね」

「お前、実の兄がこれから売り飛ばされて行くというのに、黙って

見捨てるような奴だったんだな・・・」

「平等にオークションで決めようね。ロットナンバー1番、お兄ち

ゃんの人生。3000円から!」

 この戦いはかなり白熱し、最後は優季さんが3821円で競り落

としたんだけど、お兄ちゃんが隠れて勘定を済ませていたので全て

無効になってしまった。

「ありがとうございました。また、会いに来てね・・・」

 変な誤解を招きそうな綾花さんの言葉に、お兄ちゃんは真顔でこ

う答えた。

「今度は、もう少し違う形で会いたいです・・・」



 こうして、ボクたちはフローネルを後にしたんだ。こんなに楽し

い時を過ごせて、ボクはとても嬉しかった。

「早く、家に帰って綾花ちゃんとるかちゃんの出会いの物語を聞こ

うね☆」

「流香、言いたくないような事だったら、黙っていてもいいんだよ」

「いいのよ、優季ちゃん。優季ちゃんにも、そろそろ話さなくちゃ

いけないと思ってたんだ。それに、沙夜さんも気付いているようだ

しね」

「私は何も見ていないわよ。話したいのなら、勝手に話しなさい」

「さっき、約束したものね。でも、これは私達だけの秘密だよ」



 リーフレットに帰ると、綿月さんは静かに語り出した。まるで、

つい昨日起こったことを思い出すかのように。

「きっと、信じてくれないだろうけどね・・・」 



---

 私と綾花が出会ったのは2年前、北の丘の植物園での事だったの。

その日は、ちょっと嫌な事があって、「ずっとここで過ごしていた

い」って思ってたから。ただ、何もせずに歩き回って、お花だけを

見ていたかったの。そして、日が沈みかけても庭園の奥に隠れてい

ると、私の他にも、お花畑の中に立ちすくんでいる子がいることに

気付いたの。その子は、私に気付いても身動きひとつせず、ただ、

悲しい目で私を見ていた。

 私は、この子が寂しがっているような気がしたから、ちょっとだ

け、お話ししようと思ったの。

「あなたも、家に帰りたくないの?」

 そうすると、その子は悲しそうに、こう答えた。

「帰ることが出来ないの。私はここから動けないから・・・」

 不思議に思って足元を見てみると、スカートの裾は無数に切り裂

け、足首は血に染まっていた――

「ひどいケガ・・・待ってて、すぐに助けてあげるから!」

 私は急いで駆けつけようとしたけれど、その子――綾花は、これ

までに聞いた事も無いような、厳しい声で私を制した。

「私に近づいちゃ駄目!!あなたまで、こうなってしまうのよ!」

「どうして!? 一体、何が、どうなっているの!?」

 綾花は、ゆっくりと身を屈めて、足元に咲いていたコスモスに、

そっと手を触れると、私の目を見て語りかけた。

「今、私の周りの草や花は、どれも異常な程に強度が上がっている

の。ここに揺らいでいる花びらさえ、まるで刃物と変わらないわ」

 前に突き出された綾花の指から、一筋の血が流れ落ちる。綾花は

その傷を見詰めると、疲れ切った声で言葉を継いだ。

「こんなのは今に始まったことじゃない。私が外に出ると、大抵、

こういった不吉なことが起こるのよ。あなたも、私に関わったりし

たら、ろくな目に遭わない・・・」

「そんな訳ない!お花がそんな事をするなんて、きっと何かの間違

いに決まってる!」

 そんなことを信じる気になんて、なれる訳が無かった。それなの

に、綾花はそっと首を振った。

「これも、何日後になるかは分からないけれど、いつかは元に戻る

わ。あなたも私のことなんて忘れて、素直に帰ればいいのよ」

「そんな事、できない」

 私は、それ以上何も言わずにそこへ近づいていく。すると、綾花

は今度は締め付けられるような表情で叫んだの。

「お願い!黙って言う通りにして!もう・・・もう、誰も私の為に

傷つけたくないの!」

 最後は、涙声だった。私は全然分かっていなかったんだ。綾花は

人を傷つけると自分まで傷ついてしまう、そんな優しい子だったの

に、そんな優しい気持ちさえ、私は踏みにじってしまったの・・・

「いたっ・・・!」

 急に、まるで針の山を踏んだような感覚が身体を突き抜ける。

「だから・・・だから・・・」

 でも、私の心にあったのは「綾花を助けたい」っていう想いだけ

だった。ただ、そうしてあげたかった。

「安心して。私、きっとあなたを助けてあげる」

 私はそこで足を止めて、綾花のように花びらの先に手を触れた。

指先に冷たい痛みが走ったけど、それを無視して、その子達に語し

掛ける。

「お願い、もう、その子を傷つけないで。よく聞いて、風の声を。

土の感覚を、その身で確かめて。あなた達の、あるべき姿を思い出

すのよ・・・」

 今思い出すと、よくこんな言葉が出てきたなぁって思うけれど、

その時には、何故か自然にそうしていたの。まるで、最初からそう

する事が分かっていたかのようにね。でも、綾花はもう知っていた

んだ。これは、そんな事でどうにかなるような簡単な問題では無い

んだって。

「そう簡単に、直ったりはしないわ。この花だって、踏まれたくも、

風に倒されたくもないんだから」

 静かな声でつぶやくと、綾花は一本の草を引き抜いた。

「でも、私さえいなくなれば、きっとすぐに元に戻る・・・」

 私は、迷わず綾花の元へ飛び込んだ。綾花が何をするつもりなの

か気付いたから。身体が勝手に動いていた。そして、綾花が首筋に

手をやった瞬間、私が綾花に飛びつき、その勢いで一緒に地面に倒

れこんだ。

 私は、じっと目をつぶって全身が切り裂かれる感覚を待っていた

けれど、その代わりに訪れたのは、嗅ぎ慣れた土の匂いと、綾花の

暖かい感触だった。

 綾花も、何が起こったのか分からないような表情で、元に戻った

お花畑に座り込んだまま、ただ辺りを見回していた。

「どうして・・・そんなに都合よく、元に戻る訳が無いのに・・・」

 でも、私はすぐに分かったの。みんな、本当は綾花の事が大好き

だということをね。綾花を傷つけるつもりなんて最初から無かった

のよ。

 そして、大切な綾花をこれ以上傷つけたくないという想いがあっ

たから、その想いが一斉に此処に集まったから、こうして元に戻る

ことが出来たんだって――



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「こうして、私と綾花は知り合ったの。嘘のような、本当のお話」

「流香が通信制の高校に入ったのも・・・」

「そうなの。綾花と2人で学校に行きたかったからよ」

 はっきり言って、ボクにはとても信じられないような話だったけ

れど、単なる出任せにしては、綿月さんの言葉はあまりにも透き通

っていた。

「でも、その話だと、綿月さんは結局綾花さんの役には立てなかっ

たんですね」

「私はただ、話をややこしくしただけよ☆」

 その一言に、思わず力が抜けてしまう。それは、みんなも同じだ

ったみたい。

「るかちゃん・・・そういう事は、あまり言わない方がいいよ」

「そんな事ないよ。流香の想いが、綾花を、そして花の心を動かし

たんだよ」

「でも、本当に無茶したわね。一歩間違えたら、2人ともただでは

済まなかったはずよ」

 いい加減な口ぶりだったけれど、沙夜さんは綿月さんを面白そう

に見詰めていた。

「あの子、生まれつきで相当に大きな力を持っているのよ。幼いう

ちは力の制御が感情や体調などに影響されてしまうから、そういう

事が起こったのね」

「お姉ちゃん。それだと、どうして綾花ちゃんの家の中では何も起

きなかったの?」

「簡単な理屈よ。あの場所の魔力の安定性が周囲とは桁違いに高い

から。どうやら、大地の要(かなめ)の真上に立っているようね」

 種明かしをしてくれるのはいいけれど、それよりも、はるかに大

切な事を沙夜さんは話していない。それを待ちきれないように、綿

月さんは話に割り込んだ。

「綾花は、これからも、ずっとあそこで暮らさなければいけないの

?」

「大丈夫。私くらいに成長したら、力の調整くらいは完全にできる

ようになるらしいわ」

 沙夜さんの言葉に、綿月さんはそっと胸を撫で下ろした。

「よかった・・・いつか、また綾花とあの場所に行けるようになる

のね・・・」

 それは、心から幸せそうな声だった。





 心の底のさらに向こう、そこは、決して辿り着くことが出来ない、

魂の統べる領域。奥底にそっと眠っているのは、数え切れない程の

想い。そして、囁きかける静かな声。

 それは、過ぎ行く風が遺していった、小さな想いと風の欠片。


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