第三章「想いを乗せる風」 中編



 部屋を出て階段に差しかかると、紗織の部屋から話し声が聞こ

えてきた。綿月さんはもう戻っているはずだし、今度は何をして

いるのかな? ボクは、思わず耳をそばだてていた。

『これで、初めてお姉さんと気持ちが通じたんだね。でも、本当

にいいの?るかちゃんと優季ちゃんだけじゃなくって、お姉さん

にも手を出したなんて歩に知られたら・・・』

『え!? あの・・・』

 すかさずドアを蹴り飛ばすと、そこにはお兄ちゃんの胸に寄り

添っている紗織の姿があって・・・。一瞬、ボクは我を忘れた。



 気がつくと、紗織はベッドに突っ伏しているお兄ちゃんを「気

の毒そうに」眺めていた。それでも、後ろ手に頭を掻いている所

とかを見てみると、少しは反省しているのかもしれない。

「お兄ちゃんって、妹に信用無かったんだね。ちょっとかわいそ

うなことしちゃったかな?」

「あれって、まさか紗織が・・・」

「もちろん、ただの冗談だよ☆」

 もぅ、確かに、お兄ちゃんで遊ぶのは面白いかもしれないけど、

ボクの気持ちも少しは分かってよ。紗織だって、これでも一応は

ボクより3つも上の「お姉さん」なんだからね。

「でも、まさかボクが通りかかるまで、ずっとあんな事をやって

た訳じゃないだろうね」

「お姉さんはこの家の住人だからね。誰が何処を歩いているかな

んて、足音だけで分かっちゃうよ☆」

 ここで紗織を許すのは、さすがに人が良すぎるような気がする。

でも、落ち着いて考えてみたら、これって、どうでもいいような

こと・・・・・・だよね。

 どうしたら良いのか分からないままに立ち尽くしていると、下

から沙夜さんの呆れたような声が聞こえてきた。

「ちょっと、また何かやったの!?いま何かが崩れたような音が

したわよ」

 このままだと、みんなが様子を見に来るのは時間の問題。綿月

さんは言うまでも無く、優季さんも、さすがに今回は怒るだろう。

これって、かなりまずいかも・・・

「歩はお姉ちゃんの部屋に戻っててね。ここはお姉さんがなんと

かするから」

「なんとかって、どうやって?」

「もちろん、なんとかだよ☆」

 短い間とはいえ紗織の行動に付き合ってきたんだ。ボクとして

はその辺をよく聞いておきたかったんだけど、今はそんな余裕な

んてありそうに無い。ボクは、何処かおびえた感じの瀬菜の腕を

掴むと急いで沙夜さんの部屋に飛び込んだ。

 いくら紗織のせいとはいえ、出発してわずか10分で振り出し

に戻ってしまうなんて、先が思いやられるなぁ・・・



 多少のいさござはあったけれど、ボク達は改めて1階に集まっ

た。結局、お兄ちゃんはさっきの事に関する記憶をきれいに失っ

てしまったらしく、「あれからお兄ちゃんはしばらく横になって

休んでいたけれど、お姉さんの着替え中に目を覚まして失神しち

ゃったんだよ☆」という紗織の発言を真に受けていた。たぶん、

『紗織と失われた記憶には、これ以上深入りしない方がいい』と

いう思考が働いたんだと思う。ボクも口出しできるような立場じ

ゃないけれど、それでも、もう少しはましな理屈があってもいい

と思うけどなぁ。

 

「ごめんなさい! 私、やっぱり1人でなんて生きていけない。

お願いだから、頼りにならないかもしれないけれど、私に出来る

事なら何だってするから・・・だから、火燐が何処にいるのか一

緒に探して!!」

 前置きも何も無く、いきなり話を切り出してくる。そんな所は、

此処に来た時と全然変わっていない。でも、今の瀬菜はボクたち

を信じてくれている。どんなに口が下手だったとしても、それさ

え伝われば、みんなには十分だった。

「もちろんだよ。瀬菜は私の友達だもの☆」

「まったく、優季はいつだってこうだからな・・・・・・。俺も

付き合ってやるよ」

「ありがとう、優佳。期待してるからね☆」

「お姉さんだって、頼まれなくても探すつもりだったよ☆」

「そうそう。此処まで迷惑掛けておいて、いまさら頼まれるなん

て思ってもいなかったけどね」

「それでも、やっぱり嬉しいな。だって、瀬菜は私達を信用して、

大切な事を委ねるって決めてくれたんだから☆」

「・・・ありがとう。私、此処でみんなに出会えて、本当に良か

った・・・」

「もう涙なんか流さないの!せっかく乾いたところなんだからね」

「ごめんね、歩お姉ちゃん・・・でも、みんなの言葉を聞いてい

ると、いつのまにか、胸が詰まってきたの」

 これだと、まるでボクが瀬菜を泣かせているみたいじゃないの。

全く、手間が掛かるんだから。

 でも、ボクはそれだけ瀬菜に頼られてるって事だよね。小さい

子に頼られるのって初めてだけど、何だかくすぐったい気分。

 妹がいるって、こういう感じなのかな? 今度、お兄ちゃんと

沙夜さんに聞いてみようね。



「火燐は、私が生まれる前から一緒にいたって話したよね。聞い

た話では、母さんが私を身籠ってから、間もなく黒猫が現れて付

きまとうようになったらしいの」

「その猫が、火燐ちゃんなのね」

「うん・・・」

「でも、よく追い払われなかったわね」

「気味が悪いから何度も追い返したけれど、その度に戻ってきた

んだって。そして、最後には諦められたの」

「瀬菜の飼い猫になったんだね☆」

「そうはならなかった。私に何かあったら困るからって。ただ、

近くにいるだけ」

「ほんと、変な子なんだね・・・いたっ!」

 ボクは無言で紗織の毛を1本抜いた。

「そう・・・。とても変なの。私も、小さい頃から気付いてた」

「ふぅん。でも、黒猫ってだけだとボクにはとても分からないよ。

まさか、この辺の猫を全部集めてくる訳にもいかないしね」

「触ればすぐに分かる。私も2回くらい火傷してから、触るのは

やめたの」

「外側だけっていう可能性も残っているけれど、普通そんな体温

で生きてる訳が無いわね」

「不思議な話。瀬菜を生まれる前から見守ってきた猫。それが、

今になって急に姿を消してしまった・・・」

「生き物は自分の最期は見せたがらないっていうからな。瀬菜の

年齢から考えてもかなりの高齢だから、もう役目を果たし・・・」

「こんな時に何言ってるのよ! お兄ちゃんってば、瀬菜の気持

ちさえ考えることができないの!?」

「そうだよ。まだ、そうと決まったわけじゃないよ」

 これには、ボクも優季さんも、とても黙ってはいられなかった。

でも、瀬菜は信じられないくらいに落ち着いていたんだ。

「多分大丈夫。私も長い間見てきたけれど、初めて会った時から

様子は全然変わっていないから」

「冗談だろ・・・・・・そんな生き物がいるわけ・・・」

 お兄ちゃんの呟きが波紋のように広がっていこうとしたその時、

もう1つの声が穏やかに折り重なった。

「瀬菜の友達って不思議な子なんだね。私も、会ってみたいな」

 それだけで誰もが安心するような、とても優しい声。ボクも、

この時になって初めて、どんな猫であっても瀬菜の友達である事

に変わりは無いんだって、心からそう思えたんだ。

「流香お姉ちゃん・・・・・・信じてくれるの? 私がこんなに

変なこと言ってるのに!? そんな変な猫と友達なのに気味悪く

ないの!?」

「瀬菜は知らないけれど、この街は地方有数の怪奇スポットなん

だよ。この前だって、るかちゃんとお友達の綾花ちゃんがお花畑

の中で・・・」

「あれって、そんな話でしたっけ?」

「お兄ちゃんは黙っててね」

「・・・・・・」

「そういう訳だから、いちいち驚いてたらキリがないんだよ☆」

「それで、どうしてこの街にいるって分かったの?」

 沙夜さんが冷静に話を戻す。

「そういう匂いがするの。この街の何処かにいるって、肌で感じ

るの。私も昔はこの街に暮らしていたからすぐに見つかると思っ

たけど、辺りがだいぶ変わっていて、昔の様子もよく思い出せな

かったから・・・」

「それで、お腹がすいたところに、たまたまボク達がお茶会をし

ていたって訳だね」

「大体の話は分かったわ。かなり面倒そうだということもね」

「だからこそ、お姉ちゃんの占いが活躍するんだよね☆」

「もう忘れたの? 軽い気持ちで言うのならやめなさい。それよ

りも、記憶と私達を頼りに、落ち着いて探したらいいわ」

「どうして!? もし、万一の事があったら・・・」

「占いは未来を引き寄せる行為とも言われているのよ」

 沙夜さんの答に瀬菜の動きが止まった。どうも、意味がよく分

からなかったみたい。簡単に言いかえるとしたら・・・

「簡単に言うと、悪い結果を引いたら、それが現実になる可能性

もあるの」

 ボクよりも先に、優季さんが付け足してしまった。瀬菜はまだ

難しい顔をしていたけれど、今度は割とすぐに言葉を継いだ。

「だけど、急がないといけないの」

「それは、瀬菜の直感ね」

「私は、自分の勘を信じてる。そして、お姉ちゃんならきっと大

丈夫だって感じているの。お願い、火燐の行方を占って」



 瀬菜の本気を感じたのだろう。沙夜さんは懐からカードの束を

取り出して混ぜ始めた。

「持っていたという事は、最初から占うつもりだったのですか?」

「こうして、肌身離さず身につけている事で力が高まっていくの。

これはまだ7年くらいしか使っていないから、下手な期待はしな

い方がいいわよ」

 こうしている内に沙夜さんは裏向きに散らばったカードの山を

作り、今度は瀬菜を前に呼び出した。

「火燐のことを強く思って混ぜ合わせて。ゆっくりでいいから、

気が落ち着くまでね」

 その後、沙夜さんはそれを1つの山にしてカットすると、左か

ら順に1枚ずつ分けて4つの山を作ってから残った1枚を手元に

置いた。

「あれ? タロットって、もっと枚数が多かったような気がする

けれど・・・」

 優季さんの疑問を待っていたかのように、すかさず紗織が話し

に割り込んだ。

「お姉ちゃんの使っているカードは、少し特殊なものなのです☆

それぞれの月齢の月を象徴した28枚のカードに月の裏側の象徴

を表す1枚を加えた29枚から構成され、この世の全ての物事は

このカード1枚の意味を使えば説明できると言われているのです」

 自慢気な紗織の説明がまるで聞こえていないように、沙夜さん

は左から2つめの山を上から順にオープンすると、手元の1枚も

慣れた手つきで開いた。

 幾何学的な図形で構成された図柄が何を表しているのか、ボク

には全く理解できなかったけれど、沙夜さんの表情が次第に険し

くなっていったことからすると、事態はかなり深刻なようだ。

「瀬菜の勘も相当なものね」

「沙夜さん、説明してくれないと、全然分かりませんよ・・・」

 綿月さんの言葉に、沙夜さんは結果を静かに語り出した。

「さっき作った4つの山は、左から過去、現在、関係者、未来を

象徴しているの。最後に残った1枚は全体の鍵となっているもの。

敢えて現在の山だけを引く代わりに、本来は1番上しかオープン

しないはずのカードを全部開いて、上から順に重みをつけて解釈

したわ。全体の鍵は月齢2日目の月の象徴『姫(The Princess)』

の正位置。何か、『守られる存在』が絡んでいるようね」

「まさか、そんなことまで分かるなんて・・・」

 ボクも同じ気持ちだった。予想以上に本格的なものみたい。

「現在の状況については楽観できない状態。時空を司る『宇宙(

月齢20日の象徴)』と『時の川(月齢24日の象徴)』が高位

で逆位置を示しているわ。二位は『銀(月齢23日の象徴)』の

正位置だけれど、これは意味が広すぎてつかめないわね。下位の

カードも逆位置が多く、まとめて『不安定』の一言に集約できる

の。それでも、四位に『恋人(月齢5日の象徴)』の正位置があ

るから、これからの行動次第では『よい人間関係』が悪い要因を

制する可能性もある・・・と言ったところね」

「それで、火燐は何処にいるの?」

「特定の場所は分からなかったわ。すぐに思い当たるような所で

はないみたい」

「つまり、『占ってみたけれど、よく分からなかった』って事で

すね☆」

 ゆ、優季さん! 此処でそんなことを言ってしまったら・・・

「あっ! 私、そんなつもりで言ったんじゃないですよ!」

「だから、余計に応えるのよ・・・」

 怒りを通り越して落ち込んでいる沙夜さんを前に慌てふためく

優季さん。

「と、とにかく、そうと分かったらみんなで探そうね!」

 そして、ボクのこの一言が事態の深刻さを何よりも深く象徴し

ていた。



「歩の言う通りだよ。こういう時って、何も考えずに思いっきり

がんばっていれば、そのうちなんとかなるしね」

 紗織って、ああいう性格の割には不意にいい事言うんだよね。

こういう所は素直に見習っておきたいけど、それが普段の行動に

どうつながっているのかは良く分からない。

「そうね・・・他の手だって、まだいくらでも残っているのだか

ら・・・」

 テーブルに肘をついたままで落ち込んでいたはずの沙夜さんが、

にわかに起き上がった。

「沙夜さん、いつの間にか立ち直りましたね☆」

「優季に言われて黙ってるようだと、それこそお終いよ。瀬菜、

『私に出来る事なら何だってするから』と言ったのは、嘘じゃな

いわね」

「私、嘘なんかつかない。お姉ちゃん達に話したのは全部本当の

ことだし、その言葉も本気で言った!」

「それを聞いて安心したわ。どうやら、覚悟は出来ているようね」

「わざわざ聞き直すなんて、一体何をするつもりです?」

「『自分の力が及ばない時には、他の力を借りる』なんて、流香

には今更言うまでもないけれど、それとは別に、こういう力の使

い方だってあるの」

 そう言い残すと、沙夜さんはカウンターへ歩いて行き、そこか

ら電話を掛け始めた。

 何かを真剣に話しているようだけれど、此処からだとよく聞こ

えない。

「・・・・そう、急ぎの・・・・・・内容は・・・・・・・・・

本気なの!?・・・・・よくも・・・・この・・・・・・だって

・・・・・で・・・・・・・・・・ね・・・・」



 何気なくため息をつく紗織を前に、ボクは何か嫌な予感がした。

「紗織、なにか心当たりでもあるの?」

「見当はついてるよ。瀬菜もホントに気の毒だね」

「どういうこと・・・?」

「すぐに分かるよ」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かったわ」



 沙夜さんが戻ってきたところに紗織が問い掛けた。

「お姉ちゃん、電話したところって・・・」

「九谷情報相談室」

「やっぱり。でも、いくらなんでも、くーちゃんなんかで大丈夫

かなぁ・・・」

 未知の単語を前に、優季さんが少し首をかしげながら質問した。

「紗織お姉さん。その人って、まさか、変な小説とかに出てくる

『何でも屋さん』・・・の訳がないですよね☆」

「優季ちゃん。この世界にはね、優季ちゃんの知らないことが、

まだまだたくさんあるんだよ☆」

「・・・私、本物に会えるんですね☆」

「優季・・・ここは、喜ぶ所なのか?」

「うん☆ 優佳だって、昔は、よくごっこ遊びでやってたじゃな

い」

「おいおい、何年前のことだよ」

「歩ちゃんと優佳のどちらが私を助けるかでよく喧嘩になっちゃ

ったね。そうして、歩ちゃんが泣き出した時になだめようと優佳

が近づいた途端に飛び蹴りを受けたの。今から振り返ってみると、

あれは歩ちゃんの初勝利だったんだね☆」

「何故そんな事まで覚えている!?」

「優佳にはそんな事でも、私にとっては大切な思い出なんだよ☆」

「くっ・・・。俺は、この年にして既に弱味を握られてしまった

というのか! 一生の不覚だ・・・」

 優季さん、何も、みんなの前で言わなくても良いのに・・・。

こんなの、ボクだって恥ずかしいよぉ・・・

「どう、思い出した?」

「そうだな。かわいい妹としての歩を見たのは、その日が最後だ

った」

「お兄ちゃん。それ、どういう意味なの?」

「さあな。自分の頭で考えろ」

「ふふ☆」

「でも、優季ちゃんも会わない方がいいかも知れないよ。その、

変な小説やドラマの怪しさを10倍にした主人公を作るはずだっ

たのが、計算を間違えて1000倍のイメージで具現化してしま

ったような人だからね。食べ物に例えると、まず安っぽいホット

コーヒーにシャーベットを浮かせて、すっかり冷めてしまった後

から仕上げにラー油を垂らしたような感じかな?」

「分からない・・・」

 瀬菜がそうつぶやいたのも無理ないよ。ボクだって全然分から

ないんだもの。

 そこに、沙夜さんがもう少し具体的に説明を付け足してくれた

けど、それはある意味、紗織の表現よりも恐ろしい内容だった。

「確かに、性格的に問題があるし、手段を選ばない割に時々致命

的なミスを犯して結果を出せない変人だけど、一応はこの辺りの

問題に理解があるし、プロ根性だけは認めてもいいわ」

「そんな人なんかに頼んだら、解決するものもしないような気が

します・・・」

「認めたくはないですけれど、ボクも、綿月さんと同じ意見です。

沙夜さん、今からでも思い直しませんか?」

「もう契約は発効しているのよ。前金が10万、そして私達より

先に見つけられたら成功報酬50万。今日からの時間は限りなく

貴重よ」

 沙夜さん、今日は本気で手段を選んでいない・・・というより、

優季さんの言葉に当てられて、単に見境がなくなっているだけな

のかもしれない。

「その依頼料って、まさか・・・」

「もちろん、瀬菜の借金よ。とりあえずは私が立て替えておくけ

れど、瀬菜には身体か現金で必ず返してもらうわ」

「・・・・・・」

 さすがに、これには瀬菜も表情を引きつらせていた。こういう

方向から試練が来るなんて、普通は夢にも思わないよね。



「今日はもう遅いから、歩たちは早く帰って明日に備えなさい。

瀬菜も、さっさと寝ないと体力が持たないわよ」

「でも、急がないと・・・」

「こういう時の為に人を雇ったのよ。めぼしい場所の捜索なら、

朝までに終わっているわ」

「私・・・お姉ちゃんがそう言うのなら、信じる・・・。明日に

なれば、きっと見つかる・・・」

 瀬菜は自分を納得させるような複雑な表情のまま二階へと去っ

て行った。



 ボクたちも、瀬菜を見届けて家路に就いた。秋口だというのに、

日はもうすっかり沈んでいる。この辺りにはまだまだ街灯が少な

いし、他にお店があるわけでもない。結局、表通りに出るまでは

みんなで一緒に歩いていくことになったんだ。

「優季・・・。あれなんだけどさ、正直な話、本当に見つかると

思っているのか?」

「大丈夫。瀬菜の想いが本当でありさえすれば、その気持ちは通

じるよ。きっと・・・」

 でも、優季さんは自分の想いが通じるかはボクに言わなかった。

どうして他人の事は分かっているように言えるの!? 優季さん、

心を何処かでごまかしてる!!

 でも、ボクにはもう優季さんにどうしてあげることも出来ない。

ボクは、今まで優季さんを苦しめていたのは、お兄ちゃんの事を

気にしている綿月さんへの友情だとばかり思っていた。でも――

本当はそうじゃなかった。何よりも、優季さんの心が自分自身を

追い詰めていたんだ。

 そして、それを救えるのは、多分お兄ちゃんだけ。それがボク

にはもどかしくて、辛くて・・・何故か、堪らないくらいに悲し

かった。



 その夜、ボクは胸と身体の震えに耐えきれなくなって、そっと

自分の部屋を抜け出した。灯の消えた通路を静かに歩き、突き当

たりにある白いドアをどこか遠慮がちに叩く。

「お兄ちゃん・・・」

 心が痛い。言葉が返ってくるまでの間さえ、氷の中に閉じ込め

られたかのような苦痛を感じる。

「歩か?」

 その言葉が終わらないうちに、ボクは思わず口を開いていた。

「ちょっとだけ・・・、ただ、それだけで構わないから・・・、

お兄ちゃんの近くにいて・・・いいかな・・・・・・」

「・・・ああ。そんな所にいないで、早く入って来い」

 お兄ちゃんの部屋も明かりは消えていた。カーテン越しに伝わ

ってくる夜の光が、かろうじてボクたちの影を形作っている。

 お兄ちゃんは、ベッドの中で僅かに身を起こしているようだ。

ボクはパジャマの上から上着を羽織ったまま、そのまま何も言わ

ずに床に座り込んだ。

「お兄ちゃん、寝ていたの?」

「ああ。でも、お前のノックで起きた」

 それって、昼にそれだけよく寝ていたって事だよね――ボクが、

あんなことばかりしていたから。

「ごめん・・・」

「別にいいさ。そんな事を言いに来た訳でもないだろ?」

「・・・・・・」

「それとも、瀬菜の事か?」

 瀬菜の事が気になっているのは事実なんだ。時間が迫っている

というのに、何も出来ない――いや、本当は何もしていない自分

がとっても悔しい。けど、それは、本当の理由じゃないような気

がする。

「・・・・・・分からない。でも、ボク――」

「無理しなくてもいいさ」



 こんな寒い夜、ボクは自分でも情けない位に気が弱くなってし

まうことがある。でも、暗いのが怖いんじゃない。夜そのものが、

怖くて仕方なくなるんだ。ボクの大切なものが、追いかけている

ものの全てが、突然この薄闇の向こうに消えていってしまうよう

な気がして、どうしようもなく怖くなってしまうんだ。

 この事は、今まで誰にも言えないでいるけれど、お兄ちゃんは

多分もう気付いている。きっと、だからこそ、こんな風にボクに

優しくしてくれているんだ。



「お兄ちゃん。妹がいるのって、どんな感じなの?」

「どうして、急にそんなこと訊くんだよ」

「なんとなく。瀬菜がボクに懐いているから、訊いてみたくなっ

ただけ」

「そうだな・・・妹なんてのは、わがままで、気紛れで、いつも

その辺りを飛びまわってる――そんな、風みたいなものだと思う」

 そうだね・・・。甘えていた頃も、喧嘩していた時も、ボクは、

ずっとお兄ちゃんの側にいた。お兄ちゃんが側にいてくれる時、

ボクは、自分の気持ちを誰よりも素直に表すことができた。そん

なボクは、お兄ちゃんにとっては・・・

「ふふ・・・結構、当たっているかもね」

「それでも、それなりに可愛く思えてくるから不思議なんだよな

・・・」

「ボクがお兄ちゃんの妹で、よかったと思う?」

「妹なんて、選べる訳ないだろ」

「そうじゃないよ。もし、ボクがお兄ちゃんの妹じゃなくって、

たとえば、優季さんみたいなクラスメートだったとしたら・・・

ボクの事、どう思ってた?」

「出会いはともかく、廊下でぶつかるのなんて日常茶飯事。毎日

でも何かに巻き込んでくるお前は、それこそ第一級の危険人物に

なってただろうな」

 酷いよ。そんな事なら、別に言わなくてもいいのに・・・

「・・・でも、一歩間違えたら、優季とは別の意味で最高の友達

になっていたかもな」

 結局、その程度なの・・・。それくらいなら、ボク・・・

「やっぱり、ボクはなるべくしてお兄ちゃんの妹になったんだね」

「もしそうだとしても、俺は実の兄に手を上げてくるような歩を、

自分から妹にはしなかったと思うぞ」

 いた・・・。明日からは、ちょっと気をつけるね――



 その時、ボクは知らなかった。明日、ボクが心の奥底に眠って

いた恐ろしい事実を知ってしまうことを。ボクの心が、壊れかね

ないくらいの衝撃を受けてしまうことを・・・




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