「あ〜あ、指を鳴らすだけで勝手に食卓が出る魔法があったら便利なのになー」


 また楽しそうなため息がひとつ、私の口をついて出る。昨日の夜に準備を始めてからの
回数をカウントすると、おそらくスフレの鱗の数の半分くらいには届いているだろう。

 準備はきわめて滞りなく進行している。この私室から3階層を隔ててセッティングされ
た会場では、あの日以来、何年たっても成長しない幽霊っ子がテーブルや食器を最短距離
で透り抜けながら飾り付けを行っているし、急遽召集が掛かったという書状を事後通知で
アカデミーに送ってきた彼は、数多の功績を認められ爵位を授けられた身でありながら、
貴族院の会合をキャンセルしてまで駆けつけて前準備の最前線指揮官を買って出てくれた。
そのおかげで分刻みのスケジュールを実行する羽目になった後輩達は、己の身に降りかか
った不幸と、更にはアカデミーの人脈を呪っていることだろうが、総督閣下の手によって
直々に統率を受ける機会など、滅多にあるものではない。今後のことを考えるときわめて
貴重な人生経験になることだろう。

 料理はとっくに完成している。余裕を持って2日前に完成させたものを、私の《時間凍
結》で保存しておいたのだ。魔法を解除したら即座にできたての湯気がたちのぼってくる
(うん、だから魔法って便利)。自分の能力を他人の為に使う機会は、ささやかな充足を
滴下してくれる。例えその対象が、いま在る現在の全てを溶かし込んでいく、大海の如き
過去の記憶に対してであっても。

 制服姿以外の服装も板についてきた購買部娘がテンパってしまうくらい、『ふんだんに』
食材を買い込んで、それでも足りないぶんは生徒の実家にお願いして、都合してもらった。
本当ならば三大珍味どころか満漢全席を作ってもお釣りがくるくらいに奮発していたのだ
けれど、主役のたっての希望から、献立は豪華宮廷料理から、「数量限定学食裏メニュー
食べ放題」へと密やかに変更された。そして、紅玉や翡翠をくりぬいてかたどられた12
個の大瓶には、それぞれ地上のあちこちで集めたとりどりの果汁や、清水で相当に薄めた
リキュールを一杯に詰めてある(ちなみに、1本だけ純粋な100%ポーションになって
しまっているが、これくらいは労働のささやかな報酬、お茶目な悪戯と思って頂きたい)。
 
 こんな無茶が通ってしまうのも、今日という日が特別な日であるから。

「あらあら、マロン先生。こうして、一見まだるっこしいような時間をかけるのも良いこ
とですよ。費やした時間の分だけ、あの子たちに愛情を注ぎこむことができるのですから
・・・なんて、お互い、言うことじゃないですね」

 私と同様に、ちっとも姿が変わっていない――いや、赴任してきた日に比べてみると、
ちょっとだけまなざしが優しくなった同僚が、綿菓子のような甘い声とともに部屋を訪れ
てきた。

「本当は、もうちょっと長い時をかけて、愛情と雷を注げると思ったんだけど・・・優秀
すぎる生徒っていうのも、教師としては寂しいかな」
「私は、嬉しく思います。最初は、時間感覚の違う人間の生徒さんを相手に教師が務まる
かどうか思い悩みました。私たちの基準よりもはるかに『短い』期間で結果が求められる
のですから、今にして思えば必要以上に厳しい指導をしてしまったかもしれません。でも、
あの子達は私のそんな過ちすらも自分自身の糧に変えてしまって・・・・いつの間にか、
私も日進月歩の勢いで成長していく生徒に勇気付けられ、またあるときは気づかされまし
た。本当に、あるんですね。『子に教えられる』って――」

 そう、あの子達はアカデミー創設の手探りの時期に、教育の域をちょっとはみ出すのも
日常茶飯事の、めちゃくちゃなカリキュラムの荒波に翻弄されてきた(今日においてあの
ような教育を施そうものなら、当日中にも、即座に調査委員会が召集されることだろう)。
何を隠そう、当時は現在のカリキュラムで規定した教育年限の3分の1の時間で金剛賢者
を生み出そうとしていたのだ。そんな学園生活の中にあって、あそこまで心根がまっすぐ
に育ったのは奇跡であり、また永遠の謎である。もしかしたら、後世の歴史書にも記述を
残すことになるかもしれない。
 授業中の口頭試問を落としたら即雷撃、大会では飛行術の初心者であってもグループの
最下位になった時点で空中から撃墜、etc.――入学時にビシバシ行くとは言ったけれど、
本当、よくあの授業について来られたものね。特に、ちっちゃくて幼い身体でおしおきを
受けていたあの子は。

 私は授業では甘やかしたり手加減するようなことは一度もしなかった。他の生徒と見比
べるようなことをせずに、一人前の生徒として認めていたのだから。毎日「もうやだぁ!」
って泣いていたけれど、あの子が「学校をやめたい」って言ったことは一度も無かった。
 そして、私も教えられた。あの子が寮の貯水湖で泣いていた時、私は自分が今に至った
きっかけを私自身の秘密と共に話した。そうしたら、あの子も自分が賢者を目指すきっか
けとなった出来事と、その心を支える礎を、私だけにそっと教えてくれた。今ではその子
も背がすらっと伸び、最後の最後になってようやく出番が回ってきたミニスカートは彼女
の白服にとてもよく似合っている。


「そうね。そして今日を境にして、私たちとの関係もまた、師弟から別の形へと変わって
いく。此処に来てくれたのは結構だけれど、まだパーティーの準備は・・・」
「はい、今ちょうど整ったみたいですね。計算どおりです」

 雑談の時間まで計算に入れているなんて、勘が鋭いというべきか準備周到というべきか。
そして、私を含む教師達と生徒は、まもなく最初の別れを経験する。



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