糸野 泰輔の履歴書 - Taisuke ITONO's Personal History -
1999 July, at postgrads' room 1-E in the ULIS.(図情大院生室1-Eの西側の窓で。ISANA撮影)


主な所属 (専門・仕事とは直接に関係しない分野におけるもののみ)
物怪プロジェクト三次
メンバー (大阪支部長)
AMI Banner 連絡網AMI および 同 関西セクト 
 メンバー

以前にやっていたこと…… ( What I were ...)

若気の至りとか
いろいろな想い出はありますが
過去の話です

No Banner 秘密結社MANAMI 編集および総務

同人誌即売会「School Festival」(SE、V3)
同人誌即売会「久遠の恋物語」 (第1回、第2回)
同人誌即売会「せつなさのおもいで」(「久遠の恋物語」第2回と併催)
 スタッフ(参加者誘導、写真記録担当)

No Banner 「有害社会環境」の規制を問いただす青年会議
 設立発起人(連名。2001年12月29日より。ただし、2002年ごろ消滅)

[2000年春〜2005年春]

まつもと泉・Wave Studio 準スタッフ 
 ウェブサイト管理人(代行)、まつもと泉公式ファンブック編集・発行

村山由佳公式サイト「YUKA BLUE」 管理団体team Crescent 
 [2001年7月10日〜2004年10月31日 (解散)]

(解散前)
・事務局長、運営管理スタッフ(ファン側首席)
・広報部直属「どんと不思議な仲魔たち」発行人

(解散後)
・ team Crescentに関連する清算責任者
 (team Crescent管理下における「YUKA BLUE」関連データの保管など)
・ 「YUKA BLUE」上で実施した諸企画のうち、2004年11月1日時点において、他に承継されなかったものの管理

 

 

 


		
(関連文章 - Related Documents - )

	私の肖像 - My Portraits -
	私の「お気に入り」たち - My Favorite Things -
	戯言の間 - It's TAWAGOTO time (Too Stupid to Tell You) -

	「アブノーマルチェック」性格診断表 - "Abnormal Check" Result Sheet -



Briefly speaking, I am....

 1. KOR nerd and diplomat.
 2. Student in library and information science.
 3. Loyalist to 2.5 masters as 
 4. Desk worker in 1 corporation.
 5. Friend of Teruteruwanwan.


Part I.  A. Personal History and education

昭和51年2月--日	石川県に生まれる。
昭和61年4月30日	電信級アマチュア無線技士免許 取得
			(注1 電話級アマチュア無線技士免許は前年10月に取得。)
			(注2 この免許は後に「第三級」と改められた。)
平成3年4月		石川県立金沢二水高等学校 入学
平成6年3月		石川県立金沢二水高等学校 卒業
平成6年3月31日 	原動機付自転車運転免許 取得	
平成6年4月		国立図書館情報大学 入学
平成7年5月1日 	第1種普通自動車免許 取得 
平成8年3月8日	自動二輪免許(中型限定) 取得
			(注  この免許は後に「普通自動二輪免許」と改められた。)
平成9年1月2日  	JARL主催QSOパーティ(ニューイヤーパーティ)
                      	12年連続参加を達成し、同年夏に記念盾を獲得
平成10年3月25日	図書館情報大学図書館情報学部図書館情報学科を卒業。「学士(図書館情報学)」となる
平成10年4月8日	図書館情報大学大学院図書館情報学研究科に入学
平成12年3月24日	図書館情報大学大学院図書館情報学研究科を修了。「修士(図書館情報学)」となる。
平成13年7月10日 作家・村山由佳公式サイト「YUKA?BLUE」開設にあたり、その管理団体team Crescentの設立発起人として
           共同代表となる。
           (のち、スタッフ公募にあたり、共同代表は運営管理スタッフとなった。また翌年に事務局長となった。) 平成15年11月18日 初級システムアドミニストレータ?(合格発表日) 平成16年10月2日 奈良の鹿愛護会の会員となる 平成16年10月31日 team Crescentの解散に伴い、事務局長・運営管理スタッフの任を外れ、ファン側としての諸活動の大部分を承継。 平成16年12月7日(予定) 日本赤十字社銀色有功章(献血功労)を受ける。献血回数70回への到達は9月11日。   --/Feb/1976 Born in Ishikawa pref, Japan 30/Apr/1986 Licensed as Third class amateur radio operator 25(?)/Mar/1994 Graduated from Kanazawa Nisui High School (prefectual state), Ishikawa pref 31/Mar/1994 Got a license for driving a motorbike which exhause less than 50cc of gas 01/Apr/1994 Entered to the University of Library and Information Science (national state) 01/May/1995 Got a license for driving a car. 08/Mar/1996 Got a license for driving a motorbike which exhause less than 400cc of gas 02/Jan/1997 That day I achived to attending "New Year Party"(QSO party) held by Japan Amature Radio League for 12 years. 25/Mar/1998 Graduated from the faculty of Libr.Info.Sci. of the ULIS. 08/Apr/1998 Entered to the graduate school (master course) of the ULIS. 24/Mar/2000 Graduated the graduate school (master course) of the ULIS, and confered a degree "Master in Library and Information Science"(MLIS) B. Society 情報科学技術協会 1995年10月 INFOrmation Science and Technology Association 1995 September 日本図書館協会 1999年4月 Japan Library Association 1999 April 日本図書館情報学会 2000年1月 Japan Library and Information Science Association 2000 January

Part II.  趣味と友人を中心とした、これまでの大雑把な経緯

	  History of My Life, Hobby, and Friends  (Japanese Text Only)
小学校中学年から無線を始め、中学3年のときに「きまぐれオレンジロード」(以下、きまオレ)にはまる。その一方、中学では将棋部(中学2年の時に「囲碁将棋部」と改称する。)で部長をし、生徒議会議長・応援団団長なども務める。両親の影響もあって高校の合唱部と一般の合唱団(金沢混声合唱団、「きんこん」ともいう)に入る。高校の合唱部ではベースのパート・リーダー(略して「パトリ」と言っていたが、全国的な略語かは知らない。副部長とコンダクターと同じぐらいの役目。)のほか、生徒会副会長などを務める。この時期は校内に友人は居なかった。しかし他の高校には合唱部を中心に多く、特に七尾商業高校の合唱部とは仲がよかった。  八藤 俊之君はそこのパトリを務めた中田 学君を通して知り合った臨時部員だったが、現在でも月に一回ほどは電話しあう仲である。まったく、お互いに精神汚染の半分は相手のせいだと信じて疑わないほどに似たキャラクターで、すさまじい相乗効果がもたらされた。(大阪・都島区在住) 彼の姉の苦悩は大変なものでしょう。なお、この4月に二人とも就職し、2年ぐらい音沙汰がなかった中田君(東京で就職)とも連絡が取れました………が最近は連絡が取れません。  大学できまオレ中心のホームページを作りはじめてから、国外からのきまオレ関連(ばかりでもないですが...)の質問を受け付けるようになり、またチャットを通じての国内のきまオレファンとの交流を行っている。もちろん、勉強もしてますけど。  ともかく132単位を取って卒業し、98年春からは大学院生です。ちなみに、理想の大学院生は宇宙アカデミーの首領的存在、鷲羽ちゃん(彼女については天地無用 魅皇鬼を参照のこと)ですが、人体改造だけは勘弁してほしい。(<= 本学でも理系の実験がやられていないわけではないけど、仮に彼女が本学に入学したとしても、つまんなくて、30分で退学届を出すことだろうな・・・ いや、破壊されるかも(畏))  とりあえず、学校による入り込んで(<=院生は専用のカードを与えられる)、お勉強するのが日課となりました。でも、1学期と2学期で卒業に要する30単位中28単位をとるため、なかなかハードです。英語、英語、英語だらけぇ。めくそはなくそを笑うの故事?のように、なぜかみんな英語が下手に見える。でも、米原万里(< 「っポイ!」のファンとしては、「マリちゃ〜ん」と和兄みたいに発音するか、平みたいに「バンリ」と読みたいところだが、この方の場合は「よねはらまり」である)さんの「不実な美女か 貞淑な醜女か」(新潮文庫 刊、514円)を読んでその訳が分かった。そう、それが[自分と同じぐらい]のレベルであるということが。(あ、言い忘れてましたが、彼女はロシア語の同時通訳者で、この本は通訳の仕事について分析したエッセイです。)  大学院に入ってから村山由佳作品にどっぷりはまってしまいまして、1998年6月ごろに村山由佳メーリングリスト(YM-ML)に入り、8月に同MLの第1回オフ(鴨川旅行)幹事をやったのが運の尽きでした。それ以降、現在の幹事的なメンバーの間での相互的な「いいだしっぺ幹事就任の原則」(この原則は未だに同MLやその周辺に置いて有効である)の適用が繰り広げられ、数々のオフが開かれ、現在に至っています。1999年10月には村山由佳親衛隊(村山由佳ファンクラブ、YMFC(Yuka Murayama Fanatics' Club))が結成され、その総長にされてしまいました。(私の解釈では、総長とは事務総長のことです。総司令部内にはちゃんと隊長・ボス・副長・団長が別にいるので、一番えらいわけではないです。) ただし、親衛隊が誕生する以前から、現総司令部のメンバーが殆どファンクラブのような活動を行ってきていたので、特に目新しく何かを始めたわけではないです。私もまたファンクラブの事務局的な役割(例えば、関東以外でのオフについてオフ幹事就任の打診をかけることや、各地でのオフ開催支援のための物的の提供、オフにおける取材と記録作成、村山由佳作品関係資料の収集・電子化・保存・提供)を行ってきたので、やってることは今まで通りだったりします。事実、隊員の称号管理ぐらいしか仕事は増えていません。  なお、この親衛隊が誕生したきっかけは群馬県西那須郡馬頭町教育長(1999年当時)のネーミングによるものであすので、馬頭町は親衛隊にとって非常に縁(ゆかり)のある土地です。(同町立図書館司書の星さんにはお世話になりました。)  他方で1998年冬頃より、こやま基夫先生の「エンジェルノート」という作品にものめり込みだし、激しいときは一日三回、某グリーン・ラッズさんとBBSでの書き込みを交わしてきました。そのため、ウルトラジャンプのエンジェルノート会議室(BBS)の平日の書き込み数は上位に食い込んでいた(< 同BBSのSYSOP氏が認めている事実である)ものの、グリーン・ラッズさんが療養に入ってしまったため、事態は急変した。しかし、ラッズさんの高校&会社の後輩にあたるジロクロさんが急遽登板し、今日の繁栄を築いているとか、いないとか。  翌1999年=大サボりまくりの年になり、パソコンをいじり、ネットで遊び、かつCD-Rを焼き、コミケにサークル側として参加したりもする・・・ 院生室で遊びまくる日々が続いた。その間に、人とのつきあいは非常に盛んになった。まさに時間貴族であった。この年の中頃から、豊橋方面の方々=「いかせんべさんと愉快な仲間たち」な方々とお知り合いになり、コミケ後の8月中頃には実際に豊橋で遊び、ナムコのゲームセンター@ジャスコ蒲郡にてナムタンと戯れて悦にいるという体験をする。  そうこうしているうちに、「きまぐれオレンジ☆ロード」系の海外の友人や、作者のまつもと泉先生との接点が増えていき、2000年2月に引っ越しのお手伝いをしたことがきっかけでホームページ管理を手伝うようになり、それと前後して、りゅうき夕海(ゆみ)という漫画家さん関係のおつきあいも増えていきました。そして、4月中旬にはAQUAPLUS(Leaf)主催の「こみっくパーティ」に初任給をもらったその足で向かい、業の深さを思い知ることとなりました。これもすべて、大学院同期の小熊氏のせいであると認識しております。ええ。  また、それと並行して修士論文を書いて、(恩義もあるので理由は書かないものの、修士論文提出直前に、かなり問題のある解釈を容易に許すような年賀状を下さった)指導教官に見せることなく提出し、いつの間にか修士(図書館情報学)を取得し、4月には、1月に決まった東大阪の就職先=某私立大図書館の整理係に配属される。そして、道を究めるための資金を稼ぐべく、そして司書としての経験を磨くべく、かつ司書が長生きする職業というこの世界の俗説の謎を探ることを念頭に置きながら、日々労働にいそしむ毎日を過ごしている・・・つもりらしいが、まあ、とにかくあらゆる意味で精進しているらしい。
このサイトの位置づけについてちょっと書いておきましょう。
内容の構成は、ご覧になって一目で分かることと思いますが、まつもと泉作品に関する記事が中心です。ただし、他の同種のサイトと比べて(1)英語との両文併記とすることで、英語を読むことのできる人々をも対象としている、(2)特にアメリカ、台湾の同種のサイトを運営しているファンとの情報交換を行っており、そこで得られた海外の情報も含めている、(3)連載中の最新作「EE」「幕末綿羊娘情史」については唯一のファンサイトである、(4)同人作品の収集・デジタルアーカイヴィング・WWWを通しての提供にも取り組んでおり、将来に向けての遡及的な電子化の計画と方法の研究をしているほか、新しく刊行された物を積極的にかつできるだけ網羅的に収集している、などの特長があります。
そのことからRobert Kwong氏の運営する世界最大のオレンジロードのサイトにおいて、常にリンクページの特選欄よりリンクを張られているほか、日本側の相談窓口として周知されつつあります。また、アメリカ・カナダを中心としたKOR-MLへの参加や、台湾・韓国・中国・アメリカの同志との連絡体制により、WWW以外の手段による情報提供や資料交換も行っています。